カーボンオフセットをお金で買いましょう(江頭教授)
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前回の記事でマイケルサンデル教授の著書「それをお金で買いますか 市場主義の限界」を紹介しました。思いっきり要約すると
なんでも金で解決できると思うなよ!
という内容(いや、違う!)で、思わず「これはダメでしょう」というセリフが口をついて出るような実例がたくさんでてくるのですが、一つどうしてもコメントしたい事例があって今回の記事を書いています。
「カーボンオフセット」は別にお金で買っても良いのでは?
「それをお金で買いますか 市場主義の限界」の第2章「インセンティブ」の中にはそのものずばり「カーボンオフセット」というセクションがあります。「カーボンオフセット」とはこの章の中で「地球温暖化への個人的な加担を帳消しにするために、お金を払っては如何でしょう」と、端的に表現されています。たとえば航空機のニューヨーク・ロンドン往復便を利用した人が16.73ドルを払って内モンゴルの風力発電所に寄付をすることで発生した二酸化炭素を帳消しにする、そういう取引のことです。
さて、「カーボンオフセット」に対するサンデル教授の意義申し立ては二つの論点があると思います。
一つ目は「カーボンオフセット」が温室効果ガスの削減に対して逆効果となる可能性。「カーボンオフセット」の申し出があることで、温暖化に気兼ねせずに「ニューヨーク・ロンドン往復の旅」ができる様になるとすれば、本当は不要だった旅行もどんどん増えるのではないか。もちろん、カーボンオフセットが正しく行われていれば旅行が増えるほどオフセットされるカーボンが増えるのでトータルでの温室効果ガスの排出量は減るだろう。でも、気軽に旅行に行く人たちの習慣はそのまま温存されてしまうのではないか。
まずはこの一つ目の論点について、私の考えを述べておきましょう。「カーボンオフセット」が温室効果ガスの削減に対して逆効果となるかどうかは制度設計と制度の実装の問題だと思います。「カーボン」というか二酸化炭素の排出量を正しく算定できるか。そして、それにつり合う削減量も正しく算定できるのか(こちらはもっと難しい)。そして排出量と削減量の公正なやり取りを保証できるのか。これは非常に難しい問題で、私自身どちらかといえばその現実性に懐疑的です。でも、これはいろいろな技術や制度の問題であって、少なくとも倫理的な問題ではないと思います。
ということでサンデル教授の第二の論点は倫理に関する問題です。温室効果ガスの削減に皆が努力してるならハイブリッド車に乗っている人は賞賛されるかわりりに燃費の悪いSUVに乗っている人は肩身が狭くなるでしょう。でもカーボンオフセットがあるとその様な倫理観が覆されてしまうのではないか。温室効果ガスの削減への努力は金銭でやり取りできるものではないだろう、という問題意識です。カーボンオフセットが「免罪符」に例えられる、という表現がこの論点を端的に表しているでしょう。
こちらの論点については私は反対だ、というか何が問題なのかよくわかりません。
カーボンオフセットは免罪符だといいますが、二酸化炭素の排出は「罪」なのでしょうか?私は温暖化という問題を解決するために温室効果ガスの削減が必要なのであって、何かの行為の(この視点からの)可否は気候変動の防止に役立つか否かだと思います。人間がそれなりのレベルの生活をするために、現在の技術では石油資資源を利用した安価なエネルギーが不可欠です。それが原罪なのだ、と言われれば謝るしかありません。それでも、気候変動問題は困った問題ではあるものの罪でも罰でもないと、私は思います。
このカーボンオフセットの問題に関してはサンデル教授の第一の論点には同意するものの、第二の論点は私には的外れに感じられました。少なくとも「薬物中毒の女性にお金を払って不妊手術を受けさせる」という話ほど「カーボンオフセット」が罪深い様には思えないのです。
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