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3.11から11年(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 3月11日、いわゆる「3.11」は東日本大震災が起こった日です。あれから11年が過ぎました。昨年が10年という区切りの年だったから、あるいは騒然とした世界の状況のせいか、今年はこの地震、そして津波に関連した話題が少し少ないような気もしています。

 2011年3月11日、まだ東京工科大学の工学部も応用化学科も設立されていない頃です。私は大阪大学の基礎工学部というところに所属していて豊中市のキャンパスにいました。地震か起こったちょうどその時間、卒業間近の学生さんと論文の修正について打合せをしていた。地面の揺れを感じて、はじめは大きな地震ではないな、と感じたのですがいつまで経っても振動が止まらない。やたらに長い時間揺れ続けていた記憶があります。(地震からかなり後になりますが、東日本大震災の地震の震動の広がりをグラフィカルに示した動画を見たのですが、震源地よりはなれた地域の方が長く揺れが続いていたようです。)

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NHKでは今年もこの震災についての特設ページを設けています。

 3.11は東日本大震災のこと。「震災」であり直接的な原因は地震です。しかし、この災害で注目を集めたのは「津波」の被害だったと思います。

 私自身の子供の頃からの記憶をたどってみると、津波という現象は小さい頃から知っていて、映画やテレビなどでその映像を見ています。でも、それは「大きな波」といったもの。色でいえば青か透明な水でできた波でした。

 そんな津波についての認識が一気に書き換えられたのは2004年のスマトラ大地震によって発生したタイのプーケット島での津波災害でした。現実の津波災害のリアルな動画を見たのは、少なくとも私にははじめての経験でした。津波の水は陸地にあるありとあらゆるものを巻き込んで「黒い」水として押し寄せてくる。

 純粋な水ならまだしも、大小さまざまなゴミ(もともとはゴミではなったのでしょう)を取り込んだ波は半分固体のようなものでしょう。あんなものにぶつかったらひとたまりも無い。私は津波の恐ろしさをはじめて理解したのでした。

 それから7年、今度は日本でより大規模な津波災害が起きた。そのときの衝撃は、例え頭で理解していたとしても、やはり一段上のものだったことを覚えています。

江頭 靖幸

 

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