映画「アンドロメダ病原体」で描かれた安全思想(江頭教授)
| 固定リンク 投稿者: tut_staff
今回は、前回紹介した映画「アンドロメダ病原体」を題材として、「安全」というものについて考えてみたいと思います。この映画、半世紀前の作品ですが、その当時の最先端、というかその当時から見た未来を想像して、宇宙からきた病原体に備えて造られた絶対安全な施設、を描写しています。ある意味、当時の安全思想がそのままフリーズドライされているわけで興味深い題材と言えるでしょう。
映画のかなりの部分がこの「絶対安全」な施設の中の描写なのですが、いわゆるSFチックなデザインで満ち満ちていて私などはワクワクします。ただ、いろいろな装置の造りが今から見ると雑、というかぶっきらぼうな感じも。曲線を多用したデザインの金属製品のセットを造るのが難しかったのでしょうか。真っ平らの金属面にいきなり鍵穴だけ空いている、といったデザインなど今の目で見ると如何にもレトロな感じ。まあ、それも良い味なのですが。
おっと、安全の話でしたね。
この映画のなかで安全を確保するための仕組みは端的にまとめると「完全な隔離」とそれを実現するための「徹底した機械化」だと思います。病原体を完全に封じ込めるための隔離、そして人間は外部から遠隔操作で作業をするのですね。
理論的にはこれで巧くいきそう。ですが映画を見てゆくとこの考え方の限界も明らかになってきます。
まず、遠隔操作をするための機械について。
これって故障したりしないのでしょうか?故障したら人間がメインテナンスする必要があって、結局は隔離を解除することになるのでは。映画ではこの施設は数日しか使われていませんが、実際の研究であればもっと時間がかかるもの。だとすれば機械の故障もあり得る、というか故障しないと考える方が非現実的なのでは。
機械をある程度ユニット化しておいて故障したユニットを分離して新品と取り替える、とかどうでしょう。ものすごい費用がかかりそうですが、軍事施設なら仕方がないかも。でも故障ユニットはどうするのか。処理するならその際に隔離が破れてしまう。処理しなければ管理対象が増え続ける。いずれにしてもサステイナブルではなさそうです。
そしてもう一つの問題。遠隔操作をする人間側の問題です。
日常的に遠隔操作を行っているなら良いのですが、この施設の遠隔操作(というか、50年前なら遠隔操作そのもの)は非日常的で大きなストレスがかかりそうな、というかはっきり言って非常に面倒くさい操作の連続となるのです。宇宙から来た病原体を扱っているという緊張の元で強いストレスを受けた研究者達はやがてミスをすることになる。実際、この映画でもそれに近い描写がありました。
結局、半世紀前のフリーズドライされた安全思想の最たるものは「完璧な隔離」を実現した「絶対安全」な施設という虚構だ、といえば良いでしょうか。
映画では、この「絶対安全」な施設の「完全な隔離」はアンドロメダ病原体の新たな進化によっていとも簡単に破られてしまいます。もちろん、映画を盛り上げるためのマッチポンプな設定ではありますが、この展開自体が「絶対安全」な施設を造ろう、造れるはずだ、という考え方に対する批判だともいえると思います。その意味では「絶対安全」はすでに半世紀前から批判の対象だったのですね。
江頭 靖幸
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