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映画「日本沈没」(1973)(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 以前にこのブログで「SFパニックドラマの超有能なイケメン官僚に転生してしまった件」じゃなくて「日本沈没 希望の人」の感想、というタイトルで令和のTVドラマ版の「日本沈没」について紹介したのですが、今回は原作小説が出版された直後に制作された1973年版の映画「日本沈没」について紹介しましょう。

 高度経済成長に沸く1970年代の日本。好調な経済にもかかわらず、測定誤差が消えない地形測量、巣に返らぬツバメなど、一部の勘の鋭い人々は日本に起こっている異変に薄々感づいていた。地球物理学者の田所博士はそれらの事象を丹念に収集し、驚くべき結論を導く。近い将来、日本列島は海に沈む。未曾有の危機から日本と日本人を救うべく、D計画が今スタートする。

この映画、140分というやや長尺(そうでもないか)ではあるものの、映画というコンパクトな時間の中で「日本沈没」という大イベントを一気に描ききります。日常の中に不穏な雰囲気が忍び込んでくるサスペンスフルな前半こそやや丁寧な描写が行われますが、「日本沈没」が確定した後は一大ディザスター映画となり、最後の方はまるで映像スケッチの様です。リアルに描くことが難しい「日本沈没」という異常事態を敢えて克明に描写せず、視聴者の想像に任せた作りになっているのです。

 どうしても「日本沈没 希望の人」と比較になってしまいますが、正直、この映画というフォーマットが「日本沈没」を映像化するには一番相応しいのではないか、と思います。

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 本作のクライマックスは後半の日本沈没そのものより、前半と後半の間で描写される東京大震災(第2次関東大震災を作中ではこのように呼んでいます)のシーンでしょう。

 関東大震災の記憶から東京には地震が起こるものだ、というのは多くの人の共通の認識です。しかし、1973年当時の日本は、まだ阪神淡路大震災も東日本大震災も経験しておらず、現代的な大都市に地震が起こったらどうなるのか、その具体的なイメージは共有されていなかったと思います。戦後に急速に発展した東京という大都市にいつかは大地震が起こる。その被害は戦前の関東大震災当時のものとは比較にならないものとなるだろう。しかし具体的なイメージがない分、不安と恐怖の対象として多くの人が、見てみたい、という強烈な興味をかき立てられたのだと思います。

 東京大震災のシーンは映画ならではの残酷な描写を含めて充分な迫力をもって迫ってきます。CGがなかった時代、特撮によってこれだけの映像が創られたことには感心させられます。現在の目から見ても充分に鑑賞に堪える映像だと思います。

 しかし、映像のクオリティは別として、この東京大震災のシーン、今見るとどうしても実際の震災と比較して違和感を感じてしまいます。例えば阪神淡路大震災における長田町の映像などはかなりこれに近いのですが、長田町はケミカルシューズの一大生産地でありそれなりの量の化学物質が蓄積されていたので、ある種特別な被災の仕方をした街です。一般の東京の街を前提にこの映画の東京大震災のシーンを見ると今では不自然に見える。はっきり言うと「炎が出過ぎ」なのです。

 先に述べたようにこの映画の制作者達は現代的な都市での地震がどのような情景になるか、具体的なビジョンがあったわけではないのです。ですから以前の歴史や体験からそのビジョンを持ち込まざるを得なかった。そして、それはおそらく東京大空襲の情景だったのでしょう。地震は多くの建物を破壊しますが、焼夷弾のように可燃性の物質をぶちまけるわけではありません。また、東京大空襲で燃やされた家々は木造が主で炎をだして燃えさかったのでしょう。しかし現代的な都市を構成するビルの火災は炎よりも黒い煙が特徴的です。

 とは言え、この映画が地震など天変地異の恐怖への警鐘となり当時の人々に地震に対する備えを意識させたことは事実かと思います。映画の中の東京大震災がオーバーな表現に見えるとしたら、この映画が切っ掛けとなり防災への取組が進んだこともその一因なのかも知れません。

江頭 靖幸

 

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