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グローバル経済の行方(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 小説家でもあり文明批評家でもあった堺屋太一氏は「団塊の世代」という言葉を作った人です。この堺屋氏は戦前の日本は「人余りもの不足」だったと言い、戦後の高度経済成長期の日本を「もの余り人不足」と表現していました。そして「もの余り」の原因は安価な石油が安定して供給されていることだ、というのです。

 では今の日本を同じ様に表現したらどうなるのでしょうか。まず「人不足」は確定ですね。昔は「新しい仕事がどんどん増えているので人不足」だった訳ですが今は「純粋に働き手が減ることで人不足」という点が違いますが。そして「もの余り」も同じでしょう。ですが、その理由はおそらく経済のグローバル化によって、となると思います。

 この見方、2020年より前なら問題なく正しいと思えたでしょうが、新型コロナウイルスのパンデミックによって少し怪しくなってきました。そして2022年2月24日以降はさらに不透明になってきたと言えるでしょう。

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 第二次世界大戦後、西側世界は確実に豊かになってゆきました。戦争で大きな被害を受けた日本はその底辺から一気に頂点に駆け上がるという歴史的に希有な体験をした国です。その後、冷戦終結にともなって東側諸国が西側の経済と統合されることによって世界は一つの市場になったと言えるでしょう。誰もが自分の得意とするものを造り、必要なものを購入する、という世界経済では規模の拡大がより高い効率につながります。より多くのものがより安く手に入る、それは世界の誰にとってもメリットとなるはずです。

 そして世界の隅々に安全に物資を輸送できて、その代金を安心してやり取りできる。それがグローバル経済の大前提です。ところがここにきてその大前提に疑問符が付くこととなりました。パンデミックはある種自然災害のようなものですが戦争はまた別ものです。これが原因で安全な物流と安心できる交易が阻害されたとしたら、日本は近いうちに「人不足もの不足」という最悪の状態の陥ってしまうかも知れません。

 世界を良くするためには多くの人が努力を重ねる必要があるのに、世界を悪くすることはたった一人の人間の決断で簡単に実現できるのだ、という事例を見せつけられているように思います。

江頭 靖幸

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