学生実験と卒業研究の実験では刑事ドラマと裁判くらい違う、という話(江頭教授)
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修士だったか博士だったか、学生のころひょんなことから留学生の先輩に「大岡越前」について説明しようとしたことがありました。「大岡越前は探偵のような活動をするけど本当は裁判官で…」「いや、そんなのダメでしょう。」
確かに。刑事事件の裁判は検察側の証拠が被疑者に対して有罪を言い渡すのに充分であるかどうかを判断するものですよね。大岡越前は当初は探偵というか刑事というか、ともかく検察側として活動しています。その後で自分が集めた証拠の信頼性を自分で判断するのですから、そんな裁判はチェック機構として機能していません。
それでも私達が「大岡越前」を楽しく見ていられるのは私達がちゃんと犯人を分かっていて、大岡越前が正しい判断をしていることが保証されているからでしょう。これは他の刑事ドラマも同様で、最後に犯人が海岸の絶壁の近くで真相を話してくれたりして、とにかく正解が明らかになります。正解が分からないことが前提の本物の裁判とは全く性質が違うのです。
後で正解が明かされるかどうか、学生実験と卒業研究からスタートする本当の研究での実験との違いも同様だと思います。
実験とは自然の持っている性質を調べること。ですが実験にはそれなりの技術、というかテクニックが必要です。だから、そのテクニックが充分かどうかを判断する必要もありますよね。学生実験は実は後者のテクニックについての訓練なのです。学生実験では後で、というか最初から正解が分かっている状態で実施されますから、自分が出した結果が正解と合っているかどうかで自分のテクニックのレベルを測ることができる、というわけです。
これは自分のテクニックに対する一種の「力試し」ですから、レベルが高い低いに限らず何らかの結果がでるものです。でも本当の実験ではそうは行きません。レベルの低いテクニックで未知の自然現象に挑戦しても、そこで得られた結果が正しいのか間違っているのか分からない。テクニックのレベルを上げてからでないとまともな実験にならないのです。
学生実験は決まった時間で終わるものですが、卒業研究から始まる本格的な実験には往々にして長い時間がかかる。学生実験がテクニックの向上に向けた訓練の一回分の「力試し」でしかないことを考えるとこれはある意味当たり前だと言えるでしょう。
ここまで考えると学生実験という名前は適当では様にも思えます。だって学生実験は本当の意味では実験ではないのですから。「実験実技」とか「実験訓練」とか、そんな名前の方が相応しいかも知れませんね。
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