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中学高校で何を教えるべきか(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 今回は昨日の記事で言い残したことを少し書いておきましょう。きっかけは国会議員の人の「三角関数よりも金融経済を学ぶべきではないか」という提言で、三角関数というからにはこれは高校教育を念頭に置いたもののようです。

 金融経済というのが金融リテラシーのことだとすると高校教育で良いのだろうか。義務教育に入れるべきなのでは。そう言いたい気もしますがそこまで深く考えていないのでしょうから、ここは不問に付すということで。

 この議員さんの「教育の内容を時代に合わせて考え直すべきだ」という主張は理解できますし、もっと言えば私も賛成です。とはいえ、どんな内容を教えるべきか、具体的な議論がはじまると「総論賛成各論反対」状況になるでしょう。なにしろ専門家の意見を聞こうとしても、それぞれの専門家は自分の専門に深いこだわりがあるのです。自分の分野の内容を少しでも多く入れ込もう、削減なんてもってのほか、という態度になりがちですからね。専門家でなくて一般の人を、といっても「プロの一般人」なんていないのですから、何かしら専門性の影響を受けることになってしまいます。

 とはいえ知識の総量は年々多くなり、教育に使える時間は限られています。「○○は重要だ」という専門家の主張以外になにかの判断基準が必要ですよね。

 議員さんが(明示的かどうかは別として)考えているのは「役に立つ」という判断基準だと思います。(違っていたらごめんなさい。)でもこれはどうでしょう?今は役に立つと思われている知識でもすぐに古くなってしまうものがあると思います。意地悪な例ですが「リーマンショック前の金融工学に基づいた金融経済の知識」とか。

 さて、専門家が「重要だ」と言うかどうか、現在の人たちが「役に立つ」と言うかどうか、ではない基礎教育内容選定の基準とは?

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 「それは市民一人一人が自分ごととして深く考え、丁寧な議論重ね、熟議にもとづいて決めるべきことだなあ(詠嘆)」といってこの記事をまとめても良いのですが、それでは余りに無責任。ということで以下に私の意見を。

 まず「自分で勉強できる」ことは対象から外して良いでしょう。逆に考えると「自分で勉強できる」様にするための教育こそが必要なのだと思います。

 そう考えると絶対外せないのが「読み書きそろばん」。義務教育はまさに「読み書きそろばん」で良いのでは。いや、本当に「そろばん」ではないですよ。「計算」くらいの意味です。「読み書き」は今風に言えば「情報を得る手段」のことになるでしょうか。

 極論すれば義務教育は「自分で勉強できる」ところまでのサポートをすれば良い。そのために必要な技能は「読み書きそろばん」で充分だ。これが私の考えですが、あともう一点。

 「自分で勉強できる」ために必要な技能はなにか、という言い方をしたのですが、少し考えると「自分で~する」ということは技能の問題だけではない、ということに気が付きます。自分で勉強しようとする意志、もっと広く言えば自分の能力を発展させようとする意志がなければ「自分で勉強できる」様にはなりません。ではその「意志」をどのように持たせるのか。

 これこそ古今東西多くの教育者が頭を悩ませた問題です。でも、「三角関数」を教えることによって「関数という概念」を理解させる、そのことによって数学というものの面白さ・有用さに気が付かせる、ということも、その「意志」を持たせる教育の一例とは言えるのでは。(これは私自身の経験から言っています。こちらの記事を参照。)

 「金融経済」を教えたい、という議論も結構ですが少し遡って考えてみることも必要なのではないかと私は思います。

江頭 靖幸

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