紙と鉛筆、それに特大のゴミ箱(江頭教授)
| 固定リンク 投稿者: tut_staff
今回のタイトルの由来はこんな小噺から。
物理学者が言いました。「数学者は良いよな。紙と鉛筆さえ有れば仕事ができるんだから」
数学者が答えて曰く「何言ってるんだ。紙と鉛筆だけじゃ仕事にならないよ」
「特大のゴミ箱がなくちゃ」
随分昔に聞いたお話で細部は不確かです。最初に言ったのは物理学者だったかな。いや、現代の理論物理学者こそ「紙と鉛筆」呼ばわりされる方かも知れない。まあ、とにもかくにも、紙と鉛筆だけでできるからと言って決して簡単にできるわけではない、というお話の趣旨は確かだと思います。
さて、なんで急にこんな話を始めたのか。実は本学の行事である「授業点検」に参加して、あらためて私達が「紙と鉛筆」の世界から遠くに来てしまったのだな、と実感したからです。
本学の授業ではノートパソコンが必携、というのは随分前からの話。特にコロナ禍による遠隔授業を経験した今ではmoodleに代表されるLMS(Learning Management System)の利用が当たり前となり、授業に際してもmoodle経由でいろいろな情報を学生に提供することができるようになっています。逆に学生から教員にフィードバックを返す方法も多彩になりました。
そうは言っても授業の進め方は昔も今もそんなに変わりはありません。
まず教科書等による予習。授業では教員が内容を説明し、演習で各自が自分の理解を確認する。
この一連の流れが大きく変わったとは思いません。しかし、演習を何で行うのか、それが最近では凄く多様になっているのです。
昔ならシンプルに教科書の問題を解いてノートに書くのが普通でした。というか、私の頃にはそれしかなかったのです。かろうじて当時出てきた電卓を使って計算するのが簡単になった程度でした。
でも電卓があると無いでは大違いです。何かの式に値を入れて計算する、という問題でもかけ算割り算の数回でもあれば手計算はほぼ不可能。計算が簡単になる様に非現実的な数値を使った演習問題を作らなくてはならない。でも電卓があればその式が実際に使われるケースをそのまま体験できるわけです。
演習の本質は数値を代入して答えを得る経験をして、その式の正しさ有用さを実感すること。数値を計算することは演習問題の「本質」ではないのです。その本質ではない部分を電卓で置き換えれば質の高い演習問題ができるようになる。まあ、私の時代はまだまだシンプルだったのですね。
さて、今回の授業見学ではMatlabの様なかなり高度なアプリケーションプログラムを利用する例題も行われていました。紙と鉛筆の手計算ではものすごい手間暇がかかって授業の時間内では手に負えないような演習問題でもこの方法なら簡単に実行できる。
ところが、電卓などと違ってこのようなアプリケーションプログラムは使い方が難しい。確かに手間暇を省く潜在的な可能性は有るのですが、実際に学生に演習問題として解かせようとすると「プログラムが巧く起動しない」「ダウンロードしたサンプルコードが読み込めない」といった、今度はまた別の煩雑さが増えてゆくのです。
うーん、これを見てしまうと演習問題を紙と鉛筆、それに特大のゴミ箱で解くしかなった時代にも、それなりの良さがあった様にも思えるのです。
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