公害と環境問題(江頭教授)
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「公害」という言葉は私自身にとっては非常になじみ深い言葉ですが、はて今の若い人、高校生や大学生諸君にとってはどうなのでしょうか。私が子供だった1960年代から70年代にかけては公害が大きな社会問題になっていたので、まるで今の「温暖化」の様に頻繁に新聞やテレビのニュースに登場していた印象です。今、この言葉がニュースに出てくることはほとんどなく、多くの若者はおそらく授業のなかでこの言葉を学習しているのでしょう。
もし今、この公害と同じ様な事件が起こったとしたら、それは「環境問題」であり同時に「事故」や「事件」、あるいは「犯罪」とみなされるのではないでしょうか。少なくとも以前の様にその善悪について意見が割れて論争が起こることは想像しにくいところです。
現在は昔の典型的な公害については法的な規制がかけられています。当時の議論が法律という形で社会に組み込まれている。つまり「公害」という問題は解決されたといえるのですね。
さて「公害」は明らかに「環境問題」ですが、逆に「環境問題」の全てが「公害」と呼ばれているわけではありません。温暖化などがその典型ですが、いわゆる地球環境の問題は公害とは言いません。また都市の環境が気温を上昇させるというヒートアイランド現象も公害とは言わないでしょう。
では「環境問題」の中で「公害」は何が特徴的だったのでしょうか。どうして多くの「環境問題」が未解決なのに「公害」だけが解決できたのか。
「公害」は歴史が古いから。たしかにそれも理由の一つだと思います。でもそれ以上に「公害」に特徴的なのは加害者がはっきりしていて、その多くが企業だった、という点でしょう。加害者はちょっと言い過ぎですが、まあ責任者ですね。その公害の原因になっている活動をした、している企業に対して法的な規制をかけることでこの問題を解決できたわけです。
逆に言うと「温暖化」に代表される未解決の「環境問題」では加害者がだれかはっきりしていないか、たとえはっきりしていても「みんな」とか「誰もが」という非常に広範囲だ、といった特徴があると思います。こうなると法規制にはあまり効果が期待できません。たとえば「2050年までにCO2の排出をゼロにする」という法律を作って全人類に強制したとしても個々人レベルで達成できる人はほとんどいない。全人類という膨大な数のステイクホルダーが納得して参加できる仕組みと技術とが必要になるわけで、それこそ今全世界で研究が進められているのですね。
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