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サステイナブルな社会に「イノベーション」は有るのか(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 この記事は慶應義塾大学大学院の小幡 績准教授の「ついに「日本が独り勝ちする時代」がやってきた」という東洋経済オンラインの記事への論評の続きです。

 小幡氏は世の中の財やサービスを「必需品」と「ぜいたく品」に大別し、現在の先進諸国では本来は不要な「ぜいたく品」を必要だと思い込ませることによって経済的なバブルを維持している、と指摘しています。「ぜいたく品」は新しい刺激で欲望を作り出し続けるための「麻薬」の様なものであると。そして、

われわれは、必需品が作れなくなり、いらないぜいたく品が世の中に溢れ、人々は「麻薬」にお金を使っている。だから、新型コロナウイルスや戦争などなんらかの社会的なショックによって供給不足に陥り、必需品が目に見えて高騰してはじめて、ようやく「今まで必需品をつくることに手を抜いてきた社会」になっていたことに気づくのだ。

と、現下の状況を解釈してみせるのです。

 そして新たな「ぜいたく品」をつくるイノベーションよりも「必需品」を地道に改良する事を良しとする社会と経済の在り方を「膨張しない経済」と呼び

必需品の質が上がっていく。基礎的な消費の質が改善する。これが社会にとってもっとも必要であり、社会を豊かにし、社会を持続的に幸せにすることだ。格差は生まれにくい。質の差はあるが、その差に断絶はない。社会として一体性は維持されやすい。

とし、今回の世界的なインフレなどの経済変動がその「膨張しない経済」への入口となると述べています。

 小幡氏の予言とおりに社会が変化してゆくかのか、その可能性の大小はさておいて、この「膨張しない経済」というビジョンはとても興味深いものです。「サステイナブルな社会」とはこの「膨張しない経済」のことなのでしょうか。

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 確かに世の中の財やサービスには明らかに「必需品」であるものと、どう見ても「ぜいたく品」にしか見えないものとがあります。むかし、世の中の人々がまだ貧しく、十分に食べてゆくことすら難しかった頃のイノベーションは明らかに「必需品」を増産するためのものだったでしょう。ところが世の中が豊かになって「必需品」への需要が満たされるとイノベーションの中心は「ぜいたく品」に向かい、ともすれば必要の無いものを

必需と思わせるために、中毒になりやすい、嗜好を刺激するものになっている。ゲームであり、スマホであり、SNSである。

という状況になっている。イノベーションが必要だったのは過去の時代であり、これからはイノベーションではなく不断の改良と改善の時代なのだ、というところでしょうか。

 近年イノベーションと呼ばれるものにこのような負の側面がある、ということ自体は認めなければならないことだと思います。とは言え、「必需品」と「ぜいたく品」の違いはそんなに明白なものなのでしょうか?

 例えば「ゲーム」。私の世代の人間からすれば「ゲーム」をぜいたく品だとする小幡氏の分類は飲み込みやすいものですが、果たして今の若い世代の人にはどうでしょう。「ゲーム」を「テレビ」と入れ換えてみれば私の世代の人間には「必需品」だと思う人が多いのではないでしょうか。でも私達が子供の頃には「テレビなんか見ているとバカになる」と言われたもので、必要が無く、中毒になりやすく、嗜好を刺激するものだとみなされていたのです。

 イノベーションによって「ぜいたく品」が創られて、それがやがて「必需品」となって行く。でも「ぜいたく品」から「必需品」になれるのはごく一部。何が「必需品」に相応しいのかはたくさんのイノベーションによって一見むだなものをたくさん作り出すしかないのでしょう。

 こう考えると健全に発展する社会にはイノベーションが必要な様に思えます。もしイノベーションのない小幡氏のいう「膨張しない社会」がサステイナブルな社会の姿だ、とするとサステイナブル社会が途端に十年一日で変化のない停滞した社会の様に思えてきて暗い気分になってきます。

 ここで私の立場を明らかにしておきましょう。確かに「膨張しない社会」はサステイナブルな社会ですが、サステイナブルな社会は必ずしも「膨張しない社会」である必要はない。私はそう考えています。この点についてはまた稿を改めて説明したいと思います。

PS:とは言え今のビジネス界、いえ、ビジネス関係の言論界においてイノベーションが重視されすぎ、改善がおろそかにされすぎ、という傾向はあるかと思います。小幡氏もその点を考えて敢えてエッジの立った言い方をしているのかも知れません。

江頭 靖幸

 

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