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論評 小幡 績「ついに「日本が独り勝ちする時代」がやってきた」(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 私の専門は化学工学で経済については門外漢。経済学に興味はありますがきちんと勉強したわけではないので経済関係の記事に対して論評できる立場ではないのですが、今回は東洋経済オンラインのある記事について少しコメントしてみたいと思います。

 件の記事は2022年9月17日付けでタイトルは「ついに「日本が独り勝ちする時代」がやってきた」となかなか刺激的。その辺は意識してのタイトルらしくサブタイトルとして「なぜ円安が進んでいるのにそこまで言えるのか」とわざわざ強調しています。

 ちなみに著者の小幡 績氏は慶應義塾大学大学院准教授で以前から雑誌やこのようなサイトでお名前を拝見する先生です。文体は単刀直入でやや強い表現がめだちます。でも、TVだったかネット番組だったか、映像で話をする様子は穏やかで少し茶目っ気が多めの常識人という感じ。学問上の意見は意見としてエッジを立てた書き方をしているのでしょう。

 さて、記事の内容。まず前半では、先進諸国はインフレと不況が同時に起こるスタグフレーションに向かって突き進んでいるとしています。しかしインフレが穏やかな日本にはその心配はない。日本のマスコミの論調とは逆に今の日本は非常に恵まれた状態にあるといいます。

 そして最近の急激な円安傾向については、単に日本銀行による金融緩和の具体的な手法が間違っているだけであり、伝統的な手法に戻せばすぐに解決するはずだというのです。

 タイトルとサブタイトルはこの前半部分でほぼ回収されています。先に述べたように私にはこの議論に対して賛成とも反対とも判断できるほどの知識はありません。ではなぜわざわざこの記事を取り上げたか。実はこの記事の後半で小幡氏は「膨張しない経済」 という実に興味深い考えを披露しているのです。

 「膨張しない経済」って「サステイナブルな経済」のことなのでは?

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 「第2次世界大戦後、世界はずっとバブルだったのである。」というのは、正にエッジの立った書き方です。その世界規模のバブルが今回のコロナ(に対応した財政出動と金融緩和による)バブルの崩壊とともに収縮をはじめており、ついにバブルの次の段階である「膨張しない時代」に入りつつあるのだ、と小幡氏は言います。

 では「膨張しない時代」や「膨張しない経済」とはどのようなものなのでしょうか。

 小幡氏は世の中の商品やサービスを必需品とそれ以外とに二分していています。必需品ではない商品は本来必要でないものですが、それを消費者に「欲しい」と思わせて買わせている。バブルが膨張しきった現在はそんな「ぜいたく品」が世に満ちていると言います。

要は余計なものを欲しいと思わせ、売りつけ、それにより人々は「造られた欲望」を満たし、幸せになった気でいるのだ。

でも「造られた欲望」は飽きられやすいので、より新しくより強力な「造られた欲望」を与え続けなければなりません。それはある種の「麻薬」の様なものです。そして世の中の頭の良い優秀な人々はイノベーションという美名の下でこぞってこの「麻薬」を造る企業で働くことを選んでいる。社会全体としては必需品をつくることをおろそかにしているのです。

なぜ、いま、インフレになっているか。ぜいたく品と「麻薬」を作りすぎて、必需品の生産に手が回らなくなったからである。

これからの「膨張しない時代」 では必需品の生産が世の中の中心になる。そしてこのような必需品を地道に生産することに長けているのが日本企業の美徳なのだ、として小幡氏は以下の様にまとめています。

これからは、必需品を、資源制約、人材制約、環境制約の下で、効率的に作る。地道に質を改善していく。人々の地に足のついたニーズに基づいた改良を加えたものを作るために、改善に勤しむ。そういう、持続性のある、いや持続そのものが目的となる「持続目的経済」"eternal economy"の時代が始まりつつあるのである。その中では日本経済は、どこの経済よりも強みを発揮するだろう。

いや、そこは「持続可能経済」"sustainable economy"でしょう、と言いたいところですが、よく考えるとこの「持続目的経済」と私の考える「持続可能な社会」とはやはり少々異なっているように思います。ではどこがどう違うのか、については稿を改めて述べさせてもらいたいと思います。

江頭 靖幸

 

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