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2022年10月

2022.10.31

「不明を恥じる」とはまさにこのこと。世界の食糧問題について。(江頭教授)

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 東京工科大学の工学部に対応する大学院として本学にはサステイナブル工学専攻が設置されています。私もこの大学院で「サステイナブル工学概論」という授業を担当しています。この授業をするのももう何年目になるでしょうか。シラバスも決まって話す内容も固まっているので毎年少しずつデータをアップデートした内容を話しています。そのなかで表題の世界の食糧問題についても触れるのですが、今年は例年通りとは行かないようです。

 まず、例年の話の骨子は以下の様なこと。

世界には実は全世界の人々に充分な食料を供給できるだけのの食糧生産能力がある。それでも飢餓にさいなまれる人々が数多くいるという現状は、実は社会システムの問題である。

 続けて

世界の食糧問題は飢餓の生じている場所それぞれの(たとえその背景にグローバル経済の問題点があるにしても)ローカルな問題であって、世界全体で食料が不足しているといった状況ではない。

 そして

安定した社会システムをもっている日本などの先進国が深刻な飢餓に陥るケースはかなり非現実的な事象が起こった場合に限られる。

という説明です。

 で、非現実的な事象として例示していたのが「世界的な疫病の蔓延」「第三次世界大戦」「宇宙人の侵略じゃなイカ」でした。最後の一つはともかく、他は現実になっている(なりかけている)じゃなイカ!

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2022.10.28

サステイナブルでない存在とサステイナブルな存在(江頭教授)

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 前回の記事では「サステイナブル工学」がサステイナブルでなくても良いと考えているものは何か、について考えました。その一つとして「企業」を挙げましたが、今回はその続き。もっと身近な、いや最も身近なサステイナブルでない存在について考えてみましょう。

 もったいぶるのは止めましょう。サステイナブルで無いのは「人間」です。

 人間に限らず、生物というものには必然的に寿命があります。永遠の生命、不老不死は見果てぬ夢。言い古された話ですが「限りある生命を懸命に生きる」ことをこそ良しとすべきでしょう。個々の人間に有限の寿命があることで種としてみたときの人間は常に新陳代謝をくり返して存続を続けることができる。つまり個体としての人間が有限であることが種としての人間をサステイナブルにしているのですね。

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2022.10.27

何がサステイナブルであるべきなのか(江頭教授)

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 「サステイナブル工学」のサステイナブル(=Sustainable)は「持続可能な」と訳されていますが、何がサステイナブルで持続可能なのでしょうか。今回はこの問題について考えてみましょう。

 さて、以前も紹介した「成長の限界」で用いられるサステイナブルという用語、その対象は「人類社会」で、期間は「100年程度」です。まずは「サステイナブル工学」もこれを前提としていると考えて良いでしょう。「サステイナブル工学」は「人類社会」を「100年程度」持続させるための工学なのです。社会がサステイナブルであるためには人口の増加、一人当たりの生産物の増加、すなわち成長を野放図に認めることはできない、それが「成長の限界」の結論でした。

 では、「サステイナブル工学」がサステイナブルで無くても良い、と考えているものは何でしょうか。

 たくさんあるとは思いますが、一つ代表的なものを挙げるとすれば、それは「企業」ではないでしょうか。

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2022.10.26

授業が始まって1ヶ月(江頭教授)

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 今年の後期の重合が始まったのは9月26日。ですから今日で授業が始まって1ヶ月になります。1ヶ月といえば四週間と少しですが、紅華祭(本学の学園祭)やその準備などで少し休みがあったため授業の進みはちょうど4週間分。第4回の授業が終わったところです。

 話は変わりますが、私は今学期、月曜日の1限に授業をもっています。その授業をはじめるときに学生さんには向かって「おはようございます」と声をかけるようにしています。それだけではなくて学生さんにも「おはようございます」とレスポンスするように強制、じゃなくてお願いしているのです。

 新学期が始まったころ、学生さん達の「おはようございます」はなんとも力の抜けた声。「うーん、声が小さいですね。おはようございま〜す!」。これを何回かくり返すとちゃんと声が出るようになりました。

 ところが!最近は1回目から声が出るようになっています。授業も4回目になれば皆慣れてくるのか。いやいや、最近の学生諸君は見たところ授業開始のころより活き活きとしているように見えます。これは一体どうしたことか。School_class_seifuku_20221026060201

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2022.10.25

卒業研究の意義は「教える経験」?(江頭教授)

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 大学での教育の最終段階として本学工学部では「卒業研究」、略して卒論が科されています。一部例外もありますが、まあ一般的なことですよね。で、この卒業研究なのですが、実際に始まってみると戸惑う学生さんが結構いるものなのです。

 目立つところでは「先生にものを教えなくてはいけない」という逆転現象。それまでは先生は自分より情報をたくさん持っていて、学生さんはそこから情報を引き出すだけで良かったのです。例え先生から学生さんに質問する事があっても、それは試問という一種のテストなのであって、先生は答えを知っている。学生さんは実は質問に答える必要は無くて「私は答えを知っていますよ」というサインを出しさえすれば良いのです。なんとなくキーワードを散りばめて語尾を濁していれば先生が勝手に納得してくれる。極論ですがこれが卒業研究以前の学生さんと先生の関係なのですね。

 ところが卒論がスタートするとそうとも言っていられない。最初はともかく、本格的に学生さんが自分で実験をするようになると、その実験について一番知っているのは学生さんだ、という状況になります。先生からの質問があれば学生さんが先生に教える、という状況が出現します。

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2022.10.24

「成長の限界」再読 その4【最終回】 (江頭教授)

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 第1回第2回第3回と続けてきた、「持続可能な(サステイナブルな)発展」の起源の一つである「成長の限界」についての解説ですが、今回をもって一応の区切りとしたいと思います。今回の課題は持続可能な、そして、成長しない世界とはどのような世界なのかです。

 本書で成長しない世界についての考察が述べられているのは「第Ⅴ章 均衡状態の世界」です。この章の前半はコンピュータシミュレーションでどのような仮定をおけば人口の急減と工業力の崩壊を避けることができるのか、が探られています。その結果は「省資源技術の導入」「サービス中心の経済への移行」「汚染の防除」「食料の平等な分配」「農地の土壌劣化への対策」「工業製品の寿命の延長」に向けた努力が行われる、という前提で、さらに人口増加の抑制が行われるとした場合、はじめて「人口の急減」を避け、全ての人が豊かな生活を送れる世界が実現する、というものでした。人口増加、すなわち人口の成長の抑制の方法には、出生率を死亡率に強制的に一致させる方法と、一家族の子供の数を2人に制限するより緩やかな方法が検討されています。最終的な豊かさには差がありますが、どちらのシミュレーション結果も少なくとも1世紀は持続可能な世界を示しています。

 持続可能な世界を実現するための条件は以下の様にまとめられます。人口が一定に保たれること、死亡率を低くしたければ出生率も低く抑えること。そして、資本設備(建物や工場などのこと)の総量も一定で、投資と損耗が釣り合っていることが必要です。一方、人口と資本設備の総量の比率、つまり豊かさは成長の有無にかかわらずどんな水準でも安定させることができる、従って人々の価値観によって決めることができる、というのです。つまり、豊かさと成長を結びつけて考える必然性はないのです。

 このシミュレーションの結果を受けて、成長しない世界についての考察が述べられています。強調されているのは成長しないのは人口と資本設備の総量だけだ、ということです。ある地域の人口が増えて他の地域の人口が減ることもあり得ます。ある産業が成長し、ほかの産業が衰退することもあるでしょう。全体が成長しなくても部分は成長することが可能なのです。ただし、ある部分が伸びれば別の部分を削る必要があるので、全ての部分がみな成長する、ということはありません。どの部分を伸ばし、どの部分を削るのか、成長しない世界では常にその判断が下されなければなりません。あれもこれも、と成長を追い求めるのではなく、自分たちが何を欲しているのか、どうなりたいのかを常に問われるのが成長しない世界だ、とも言えるでしょう。

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 また、人口と資本設備以外の分野、たとえば、教育、芸術、音楽、宗教、基礎科学研究、運動競技、社会的交流等の成長は「人類の危機」とは無関係です。これらの活動はその社会に暮らす人々の生活を変化させつづけて行くに違いありません。成長しない世界は変化しない世界ではありません。よりよい方向に発展しつづける世界なのです。求めるべきは成長する世界ではなく、発展する世界である。「持続的な(サステイナブルな)発展」という言葉の背景にはこのような考えがあるのです。

 発展する人間活動の中には、もちろん技術も含まれます。本書には成長しない世界で歓迎される実際的な発見の例が挙げられています。

  • 廃棄物の回収、汚染の防除、不用物を再利用するための新しい方法。
  • 資源の枯渇の速度を減らすためのより効率のよい再循環技術。
  • 資本の減耗率を最小にするため、製品の寿命を増加し、修復を容易にするようなよりすぐれた設計。
  • 最も汚染の少ない動力源である太陽エネルギーを利用すること。
  • 生態学的相互関係をより完全に理解した上で、害虫を自然的な方法で駆除する方法。
  • 死亡率を減少させるような医療の進歩。
  • 減少する死亡率に出生率を等しくすることをたすける避妊法の進歩。

 現在の感覚からすればここにリストアップされた発見を目指した研究の重要性は明かです。しかし、本書が出版されたのが1972年、オイルショック直前で先進国ではものがあふれていると感じられた時代だったという事を見落としてはなりません。当時の感覚では海のものとも山のものともつかない見返りの見込めない研究、後ろ向きで魅力の乏しい研究に感じられたものと思います。

 しかし、持続可能な(サステイナブルな)世界ではこのような発明こそが生活に質の向上につながります。ひたすらプラスを求めるだけの研究ではなく、マイナスを抑える研究、マイナスをプラスに変える研究が必要です。プラスを求める研究でも、その成果がサステイナブルな世界に役立つか、という視点が常に必要になります。これは私たち東京工科大学工学部が追求しているサステイナブル工学の考え方に等しいものです。その意味で、このリストはサステイナブル工学の原点とも言えるでしょう。(後ろの三つはサステイナブル農学とサステイナブル医学と言うべきでしょうが。)

 

 さて、1972年、50年前に書かれた本書の考え方はその後、どのように受け継がれ、世界の進路に影響したのでしょうか。それはまた別の機会にお話したいと思います。

 

江頭 靖幸

 

2022.10.21

ネット時代でも「数字を記憶しておくこと」が大切なわけ(江頭教授)

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 「数字やデータは覚える必要は無い、ネットで検索すれば良いのだから」

 これはよく聞く話ですよね。いや、最近は聞かないかも。むしろ今はこれが当たり前になっているのかも知れません。とは言え、私は古い人間なので、この意見には賛同しかねる部分もあります。「部分もある」という言い方になるのは一部分当たっているところもあるから。自分流に言い換えれば「全ての数字やデータは覚える必要は無い、ネットで検索すれば良いのだから」となるでしょう。逆の言い方をすれば「ネット時代でも一部の数字を記憶しておくことは大切だ」となります。

 今回はその一例として2022年10月18日付けのニューズウィーク日本版のサイト上の記事

BTSファン、メンバーが兵役の間は「韓国ボイコット」を宣言

を取り上げたいと思います。

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 記事に書かれている内容について、私は特に意見はありません。

 とは言え、2ページ目の以下のパラグラフには言いたいことが。いや、いくら何でも盛りすぎでしょう。

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(Newsweek日本語版のWebサイトから。https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/10/bts-19.php 2022/10/19閲覧)

「10年で4333兆円とすると、1年当たり433兆円。日本のGDPが500~600兆円だということを考えるとその7、8割という数字。あの、日本のGDPって確か世界第三位だったのでは。韓国のGDPはそれ以下なのだから、もしこれが正しければ韓国の人たちは全員BTSに食べさせてもらっていることになるんだが…」

 これが私の言いたいこと。この中には数字として「日本のGPD」と「日本のGDPの順位」という二つの数字が入っています。

 

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2022.10.20

「成長の限界」再読 その3 (江頭教授)

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 第1回第2回に引き続き、「持続可能な(サステイナブルな)発展」の起源の一つである「成長の限界」について述べてゆきます。成長しない社会とはどのような社会なのかについて述べる前に、本書が述べる成長が限界を迎える理由についてもう少し説明を加えましょう。

 本書で述べられている「成長」は厳密には「幾何級数的成長」、つまりねずみ算式の成長だ、という点については前回詳細に紹介しました。では、何がねずみ算式の成長をするのでしょうか。

 まず一つ目は明白で「人口」です。人間がねずみ算式に増える、と言われるといい気持ちはしませんが産業革命以後の人口の増加の様子をみれば正にそんな印象です。こんなスピードで人口が増えてしまえばいつかは限界に達するだろう、とは多くの人が感じることと一致しているのではないでしょうか。

 もう一つ、産業革命以降に急速な成長を示しているものとして、本書は「工業生産」の成長を挙げています。正確には工業生産の速度なので加速というべきかもしれません。工業生産が資源の消費につながるとすれば、工業生産の加速は資源消費の加速に対応しており、資源の枯渇、という限界に達することも容易に想像されます。

 さて、ここで「工業生産が資源の消費につながるとすれば」と書きましたが、この仮定は実は自明なことではない、というのは一つの注目点です。

 例えば「自動車の生産が100台から110台に10%成長した」という状況を考えてみたとき、単純に資源消費も10%成長しただろう、と予想するかもしれません。しかし、新しく作られる自動車がすべてより小型の車だったとしたら資源消費は10%も増えない、それどころか減少しているかもしれません。

 あるいは「自動車をモデルチェンジしてデザインを変えたら、10%高い値段で売れた」というケースはどうでしょうか。自動車の売り上げは10%成長していますが、資源消費が同じように成長しているとは限りません。

 本書で「工業生産」は一年当たりの生産のドル換算額、つまり金額で表示されています。ですから「工業生産」の成長は資源消費の増加に直結する部分以外にも、技術やデザインの改良の寄与もあるのです。ただ、本書で紹介されている未来予測では、それぞれのシミュレーションで一定の技術レベルを固定して計算を行っているため、「工業生産」の成長が「資源消費」の成長に直結した結果が示されています。このため、資源消費に成長の限界がある、というべきところを、工業生産に成長の限界がある、と誤解する向きもあるようです。

 実際、本書を企画したローマクラブが出版から40年を経て発表した「What was the message of "Limits to Growth"」というプレゼンテーションでは本書が主張しているのは「経済成長 (economic growth)に限界がある」ということではなく「今で言うエコロジカル・フットプリント(Ecological footprint, 環境への負荷の指標)の成長に限界がある」ということだと強調しています。

 もう一点、本書のシミュレーションの特徴と関連して指摘しておきたいことがあります。

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2022.10.19

「3年次学部長賞授賞式」(上野講師)

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こんにちは、工学部応用化学科学生委員の上野です。
先日、3年次学部長賞の授与式がありました。学部長から1名ずつ賞状と副賞が授与されました。

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2022.10.18

「成長の限界」再読 その2 (江頭教授)

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 前回に引き続き、今回は「成長の限界」が何を述べているのか、その内容を再確認したいと思います。

 まず、タイトルが示している「成長に限界がある」ということ、それ自体はある意味自明のことです。たとえば、世界の人口がどんどん増えて、地球上のすべての生物が人間になってしまう、などという状況はあり得ないわけですから、成長が無限に続くこともあり得ない。もちろん、そんな状態になる心配をするのはずっと未来の話。我々が心配する必要はありません。

 本書の主張で重要なのは「成長に限界がある」という指摘ではなく、その限界に今後100年以内に到達する、という点なのです。(21世紀中には、とあるのでこの本の出版年から数えれば正確には128年以内にですが。)100年は確かに長い時間ですが自分自身はともかく、自分の子供や孫、自分に関係ある人間は100年後にもいるはずで、必ずしも自分と無関係とはいえない程度の未来なのです。

 では、成長の限界はどのような原因で訪れる、とされているのでしょうか。本書では資源の枯渇、汚染、食糧不足が指摘されています。しかし、どの要因を見ても、予測の不確実性は大きそうです。コンピュータシミュレーションのデータを少し見直したら100年ではなく、200年だった、いや300年かも、といったことにならないのでしょうか。原因が複数あるなら、そのなかでもっとも緊急性の高い原因に対して対策を打ち、他の原因に対してはその後で対応すれば良いのであって、成長そのものが問題だ、というのは筋違いではないかと感じられるかもしれません。

 実は本書では、これらの疑問に答える概念が丁寧に説明されています。

本書「成長の限界」の目次を見てみましょう。

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序論
Ⅰ幾何級数的成長の性質
Ⅱ幾何級数的成長の限界
Ⅲ世界システムにおける成長
Ⅳ技術と成長の限界
Ⅴ均衡状態の世界
ローマ・クラブの見解
参考文献
注解
ローマ・クラブについて

となっています。Ⅰ章とⅡ章をもちいて「幾何級数的」成長について重点的に説明していることがわかるでしょう。「幾何級数的」成長というのも耳慣れないことばですが、「倍々ゲームの」成長、とか「ねずみ算式の」成長、と言えばわかりやすいでしょうか。最初にあったもが成長するだけでなく、成長によって生じたものがまた成長に寄与する、というタイプの成長のことで、このタイプで成長するものは我々の直感をはるかに超える急激な増加を示します。

 本書の中ではペルシャの王様についての昔話が引用されていますが、日本にも秀吉と曽呂利新左衛門の話などに同様の例を見ることができます。「一日目は米一粒」「二日目は米二粒」「三日目は米四粒」と、初めは微々たる量なのですが「十日めは1000粒」「二十日目は100万粒」「三十日目は十億粒」となっていく、という話です。「複利での借金は怖い」という教訓でもあるのでしょう。

 本書で語られているのはこの幾何級数的な成長であって、人口が幾何級数的に成長し、工業生産の量が幾何級数的に成長する。それに対応して資源の消費量も、汚染の発生量も、食料の必要量も幾何級数的に増大することに対して「限界」がある、と言っているのです。
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2022.10.17

「成長の限界」再読 その1 (江頭教授)

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 「The Limits to Growth (成長の限界) 」はサステイナブルな社会づくりについて語られるとき、「Our Common Future」とともに必ず名前の出てくる書物です。1972年の出版で、すでに50年前の書物ですが、この本で述べられている考え方が現在の世界を形成する思想的な支柱の一つとなっている一方で、この本で語られた概念が正しく理解されていない様にも見えます。そこで本書の内容を、私の個人的な記憶を交えながら紹介していきたいと思います。

 「成長の限界」、日本語訳はダイヤモンド社から出版されていて正式なタイトルは

ローマ・クラブ「人類の危機」レポート

成長の限界

D.H.メドウズ、D.L.メドウズ、J.ラーンダズ、W.W.アベランズ三世 著

大来佐武郎 監訳

となっています。本書はローマ・クラブという、今で言うシンクタンクの依頼を受けてMITの研究グループが当時最新のコンピュータシミュレーションを駆使して行った研究の報告書です。そのタイトルに「人類の危機」という、当時では(今でも?)きわもの的な言葉が使われていることがとても印象的でした。

 では、「人類の危機」とは具体的には何を指しているのでしょうか。序章で著者たちは本書の内容を三つにまとめていますが、その一つ目が「人類の危機」についてです。以下に引用します。

(1)世界人口、工業化、汚染、食料生産、および資源の使用の現在の成長率が不変のまま続くならば、来るべき100年以内に地球上の成長は限界点に到達するであろう。もっとも起こる見込みの強い結末は人口と工業力のかなり突然の、制御不可能な減少であろう。

学者的なストイックな言い回しですが、人口の「かなり突然の、制御不可能な減少」は具体的には多くの人々が寿命を全うすることなく死に至る、という事を意味しています。工業力が失われる、ということは生き残った人々も苦しい生活を余儀なくされる、ということです。

 1970年代、核戦争による「人類の危機」というイメージはすでに広く行き渡っていたと思いますが、「成長率が不変のまま続く」という悪意ではなく、むしろ善意で人々が行動することによって「人類の危機」が訪れる、というのです。

 この様に書くと「成長の限界」が示したヴィジョンが非常に斬新なものだったように思えるかも知れません。

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2022.10.14

映画「幸福の黄色いハンカチ」と高校時代の思い出(江頭教授)

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 映画「幸福の黄色いハンカチ」は1977年公開の山田洋次監督作品。武田鉄矢、桃井かおりが演じる若い(いや、その、1977年の映画だから)カップルがひょんなことから高倉健が演じる如何にも訳あり、といった感じの男と旅をするというロードムービー。男は事情があって別れた元妻(倍賞美津子)のところへ向かう途中でした。果たして彼女は男を受け入れてくれるのか…。という内容です。

 先日BS放送でこの映画を放送していたのをみて私は思い出したんですよね。高校時代を。1962年生まれの私はこの映画の公開時には15歳。10月公開の映画ですから高校一年のころです。

 いえいえ、別に高校時代にこの映画を見たというわけではないのです。それでもこの映画のことについてはよく知っていました。実は高校時代に先生がこの映画について話してくれたことを覚えているのです。

 何が切っ掛けだったかは思い出せません。別に何か特別な日という訳でもなかったと思います。先生が授業をはじめる代わりに突然雑談をはじめて、その前の休日に見た映画の話、としてこの「幸福の黄色いハンカチ」内容を教えてくれたのです。さすがは先生だけあって見事な話術。私達生徒はみんななんとなくこの映画を見たような気になった、という訳なのです。

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2022.10.13

煙突の白い煙は煙じゃない?(江頭教授)

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 今回のタイトル、何を言っているのかとお思いでしょうが…。煙突から今日も煙がでているな、と思ったらもう少し注意して観察してみてください。

 煙突から出ている白い煙の様なもの、動きを目で追ってゆくとすぐに透明になって見えなくなってしまいます。白い粉が空気と混ざって薄まって見えなくなる、という様子ではなく、本当にフッと透明になってしまうのです。

 そうです。これは煙ではなくて「湯気」なのです。煙突から水蒸気を多く含んだガスが放出され、外気に触れて冷却されることで水蒸気が凝縮して微細な水滴になる。それが白く見えている訳です。外気との混合が進むと水滴は蒸発してガスは透明になります。

 煙とはものが燃えるときにでる気体のことですが、それが目に見えて「煙」と呼ばれるのは微細な紛体が含まれているからです。このような煙は薄まっても透明になることはありません。それに必ずしも白いとは限りません。煙突から出ているのはそういう意味では煙ではない、ということです。

 では、なぜ煙突という言葉には「煙」の文字がつくのでしょうか?

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2022.10.12

「保護者会」が開催されました(江頭教授)

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 先週の10月9日と10日に紅華祭(学園祭)が行われたこと、その二日目に応用化学科の同窓会を実施したことは既に紹介しました。実は紅華祭と並行して行われる本学のイベントはそれだけではありません。春と秋に実施している保護者懇談会の内、秋に実施する懇談会が実は紅華祭と同時に行われているのです。今年も三年ぶりに対面実施された紅華祭に合わせて保護者懇談会が行われました。

 大学生なのに「保護者懇談会」とは如何なものか。私も最初はそんな風に思ったものです。大学生にもなれば一人前、いちいち親がでてくるなんて、と学生の頃の私なら思ったところでしょう。でも今大学の教員になって大人数の学生諸君と接して思うのは、多くの若者が経験する初めての社会生活である大学生活というものにはリスクが付きものだということ。その場合は学生本人の周りの人たちが協力して対応するべきで、そのためのも大学と保護者にはつながりが必要ですよね。

 (とは言え「保護者」って言葉はどうでしょうか。私の感覚だと「ステイクホルダー」が一番近いのですが、学生本人から見るとちょっとイヤかも。「家族」懇談会となるとたくさん人が来てしまいそうだし。良い言葉が見つかりません。)

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2022.10.11

応用化学科の同窓会を開催しました(江頭教授)

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 昨日、2022/10/10は本学の(というか専門学校も合わせた片柳学園の)学園祭である「紅華祭」の2日目、最終日に当たります。この機会に、ということで工学部応用化学科でも同窓会を開催しました。

 開会は13:00から。学科長の高橋先生のご挨拶からスタート。しばらくはOBと教員、OBと在校生、そしてOB同士の懇談の時間をとりました。久々に顔を合わせる人も多く、いろいろと「積もる話」もあるでしょうから暫し歓談の時間に。

 さて、会場も暖まってきたところで懇親のためのイベントが。クイズ番組の「99人の壁」をもじって「先生の壁」。OBと先生たちでクイズに挑戦という趣向です。

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 クイズへの解答は早押し形式。WEBアプリを使ってみんなのスマホがクイズボタンとして利用可能に。最近は便利なサービスがあるのですね。

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 回答者には景品ありとのことですが、我々教員は対象外でOBのみ。残念。

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2022.10.10

紅華祭が開催されています(江頭教授)

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 以前の記事でも紹介した通り、昨日10月9日と本日10日、東京工科大学の学園祭、紅華祭が開催されています。初日の9日は曇り空からやがて雨に。イベントには不向きな天気となっていまいましたが、台風やコロナにたたられた今までに比べればまだ恵まれていると言うべきでしょうか。

 さて、普段の日曜日、本学のキャンパスは特に閉鎖されているわけではありませんが、人が来ることを想定していない状態になっています。具体的に言えばスクールバスが運行していません。でも、学園祭となればメインの交通手段はスクールバスに。当然、昨日も、そして休日の今日もスクールバスは運行しています。これ、普段通りではなく、少し変則的な運行です。

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2022.10.07

履修登録のこと(江頭教授)

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 本学の冬学期の授業、今日で第2週間が終わります。学生諸君もそろそろ落ち着いて、授業にもリズムができてきた頃でしょう。

 さて、以前も紹介しましたが大学の授業は基本的には選択性になっています。この授業を受けることができませんとか、この授業は受けておく必要がある、といった規則はありますから、完全に選択性と言うわけではありません。しかし、基本が選択性である以上、授業を受けるためには学生諸君が自発的に「自分はこの授業を選択します」と宣言してもらわなくてはならないのです。小学校から高校までのように時間割に書かれた教室に行けば授業を受けたと認定される、という分けではありません。

 学生諸君が授業を選択したことを宣言するための仕組みが「履修登録」です。本学では約1週間の履修登録期間にWEB上で学生が各自の履修する授業を登録することができる様になっています。その期間に体調を崩した人は自宅から登録することも可能です。

 最初の1回は様子見として、2回目、3回目以降は履修する科目を決めてきちんと出席する、履修登録はその決意を表明する機会だ、というえば少々大げさでしょうか。

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2022.10.06

大気の厚さはどのくらいか(江頭教授)

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 皆さんは「mmHg」という大気圧の単位を聞いたことがあるでしょうか?

 私が子供の頃には大気圧にはこの単位が用いられていたと思います。Hgというのは水銀のこと。mmは長さを表すミリメータです。端を閉じた円筒を水銀の液面に立てると円筒内に水銀の柱ができます。この水銀柱がある高さ、およそ760mmを超えるとそれ以上は上昇しません。この状態で大気圧と水銀の重さが釣り合っている、そう考えると水銀柱の高さが大気圧の指標となります。

 水銀の代わりに水を使うとどうなるでしょうか。約10mの高さになるといいます。水柱の断面積を1m2とすると10mの水柱内の水は10ton、104kgです。重力加速度を10ms-2とすると105Nの力が1m2の面積にかかっている、これは105Paの圧力を受けているということですから、大気圧0.1MPaとよく一致しますね。

 では、考えを変えて水の代わりに空気を使ったら何メートルになるのでしょうか?大気圧と釣り合う空気柱の高さ、よく考えるとこれは今回のタイトルにある「大気の厚さ」そのものですよね。

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2022.10.05

寂しがり屋のノートパソコンには時々顔を見せてあげないと(江頭教授)

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 前回デスクトップパソコンの話を書いたのですが、久々にデスクトップパソコンのインストールを最初のOS(というかWindows)から進めてみると、ノートパソコンとデスクトップパソコンがだんだん別物になっているんだなあ、などと感じます。昔はデスクトップパソコンがあるべきパソコンの姿でノートパソコンはどこまでそれに近づけるか、という見方をしていたものですが、今ではノートパソコンは独自の進化を遂げていて、デスクトップパソコンがそれを追いかけているような。

 パソコンを使うとき、一番最初のログインの段階からすでに違いが明らかに。デスクトップパソコンはオーソドックスにパスワードを入力(おっと、最近は番号だけ。名称も PIN というのでしょうか)するのですが、ノートパソコンにはいろいろなオプションが。

 まずはカメラ機能を利用した顔認証によるログイン。そして私の使っているノートパソコンには指紋認証用のセンサーもついています。顔認証、指紋認証、そしてPIN入力と三つのログイン(いや、サインインか?)手法が選べるのですね。

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2022.10.04

デスクトップパソコンが壊れた!(江頭教授)

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 いや、デスクトップじゃないな。今回は自宅のデスクサイドに置いていたタワー型のパソコンが壊れた、というお話。あっ、最後は「バックアップはマメにとるべし」という普通の結論なので、ご用途とお急ぎでない方だけ聞いてくださいね。

 私は昔からパソコンを使っているので、ノートパソコンはデスクトップパソコンの補助、デスクトップパソコンこそが本物のパソコンなのだ、という意識が抜けていないのでしょう。日常の作業をほとんどノートパソコンで行う様になっても、やっぱり自分の家にはデスクトップパソコンを置いています。

 最近は大学で使っているノートパソコンとオンラインでデータを共有して家に仕事を持ち帰ることもしばしば。そんな時はデスクトップパソコンで作業をするのです。で、最初に異変を感じたのは、このデータ共有について。「ファイル○○を共有しました。」というメッセージが頻繁に出るようになったのです。いや、前にもたまに出ていたようだがやけに増えたな。一体どうしたんだろう。

 自宅のネットの回線が遅いのかな、などと見当違い方向性を考えていたのですが、件のデスクトップパソコン、だんだん動作が遅くなり、頻繁にエクスプローラーが固まり、挙げ句の果てには勝手に再起動まで。うーん。別にファイルに空きがないわけでもないのだが。

 そしてとうとう、ほとんど作業ができない有様に。

Computer_case

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2022.10.03

東京工科大学工学部応用化学科の同窓会を実施します!

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 本学の学園祭である「紅華祭」の開催に合わせて東京工科大学工学部応用化学科の同窓会を実施します。

 10月10日(月)の13時から。場所は片柳研究棟の10階アクティブラーニングセンターです。15時頃には閉会とし、その後はそれぞれに旧交を温める時間に充てていただくことを想定しています。

(本学科のOBでこのブログを見ている人がいたら指導教員の先生に連絡してみてください。)

 とまあ、いきなり告知から入ったのですが実は本学科の同窓会、久々の、というか実は初めての開催なのです。同窓会は紅華祭と合わせて実施、としていたのですが、紅華祭自体が久々の実施、という状況。それに合わせて同窓会もなかなか実施できませんでした。

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