第1回、第2回、第3回と続けてきた、「持続可能な(サステイナブルな)発展」の起源の一つである「成長の限界」についての解説ですが、今回をもって一応の区切りとしたいと思います。今回の課題は持続可能な、そして、成長しない世界とはどのような世界なのかです。
本書で成長しない世界についての考察が述べられているのは「第Ⅴ章 均衡状態の世界」です。この章の前半はコンピュータシミュレーションでどのような仮定をおけば人口の急減と工業力の崩壊を避けることができるのか、が探られています。その結果は「省資源技術の導入」「サービス中心の経済への移行」「汚染の防除」「食料の平等な分配」「農地の土壌劣化への対策」「工業製品の寿命の延長」に向けた努力が行われる、という前提で、さらに人口増加の抑制が行われるとした場合、はじめて「人口の急減」を避け、全ての人が豊かな生活を送れる世界が実現する、というものでした。人口増加、すなわち人口の成長の抑制の方法には、出生率を死亡率に強制的に一致させる方法と、一家族の子供の数を2人に制限するより緩やかな方法が検討されています。最終的な豊かさには差がありますが、どちらのシミュレーション結果も少なくとも1世紀は持続可能な世界を示しています。
持続可能な世界を実現するための条件は以下の様にまとめられます。人口が一定に保たれること、死亡率を低くしたければ出生率も低く抑えること。そして、資本設備(建物や工場などのこと)の総量も一定で、投資と損耗が釣り合っていることが必要です。一方、人口と資本設備の総量の比率、つまり豊かさは成長の有無にかかわらずどんな水準でも安定させることができる、従って人々の価値観によって決めることができる、というのです。つまり、豊かさと成長を結びつけて考える必然性はないのです。
このシミュレーションの結果を受けて、成長しない世界についての考察が述べられています。強調されているのは成長しないのは人口と資本設備の総量だけだ、ということです。ある地域の人口が増えて他の地域の人口が減ることもあり得ます。ある産業が成長し、ほかの産業が衰退することもあるでしょう。全体が成長しなくても部分は成長することが可能なのです。ただし、ある部分が伸びれば別の部分を削る必要があるので、全ての部分がみな成長する、ということはありません。どの部分を伸ばし、どの部分を削るのか、成長しない世界では常にその判断が下されなければなりません。あれもこれも、と成長を追い求めるのではなく、自分たちが何を欲しているのか、どうなりたいのかを常に問われるのが成長しない世界だ、とも言えるでしょう。
また、人口と資本設備以外の分野、たとえば、教育、芸術、音楽、宗教、基礎科学研究、運動競技、社会的交流等の成長は「人類の危機」とは無関係です。これらの活動はその社会に暮らす人々の生活を変化させつづけて行くに違いありません。成長しない世界は変化しない世界ではありません。よりよい方向に発展しつづける世界なのです。求めるべきは成長する世界ではなく、発展する世界である。「持続的な(サステイナブルな)発展」という言葉の背景にはこのような考えがあるのです。
発展する人間活動の中には、もちろん技術も含まれます。本書には成長しない世界で歓迎される実際的な発見の例が挙げられています。
- 廃棄物の回収、汚染の防除、不用物を再利用するための新しい方法。
- 資源の枯渇の速度を減らすためのより効率のよい再循環技術。
- 資本の減耗率を最小にするため、製品の寿命を増加し、修復を容易にするようなよりすぐれた設計。
- 最も汚染の少ない動力源である太陽エネルギーを利用すること。
- 生態学的相互関係をより完全に理解した上で、害虫を自然的な方法で駆除する方法。
- 死亡率を減少させるような医療の進歩。
- 減少する死亡率に出生率を等しくすることをたすける避妊法の進歩。
現在の感覚からすればここにリストアップされた発見を目指した研究の重要性は明かです。しかし、本書が出版されたのが1972年、オイルショック直前で先進国ではものがあふれていると感じられた時代だったという事を見落としてはなりません。当時の感覚では海のものとも山のものともつかない見返りの見込めない研究、後ろ向きで魅力の乏しい研究に感じられたものと思います。
しかし、持続可能な(サステイナブルな)世界ではこのような発明こそが生活に質の向上につながります。ひたすらプラスを求めるだけの研究ではなく、マイナスを抑える研究、マイナスをプラスに変える研究が必要です。プラスを求める研究でも、その成果がサステイナブルな世界に役立つか、という視点が常に必要になります。これは私たち東京工科大学工学部が追求しているサステイナブル工学の考え方に等しいものです。その意味で、このリストはサステイナブル工学の原点とも言えるでしょう。(後ろの三つはサステイナブル農学とサステイナブル医学と言うべきでしょうが。)
さて、1972年、50年前に書かれた本書の考え方はその後、どのように受け継がれ、世界の進路に影響したのでしょうか。それはまた別の機会にお話したいと思います。
江頭 靖幸