卒業研究の意義は「教える経験」?(江頭教授)
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大学での教育の最終段階として本学工学部では「卒業研究」、略して卒論が科されています。一部例外もありますが、まあ一般的なことですよね。で、この卒業研究なのですが、実際に始まってみると戸惑う学生さんが結構いるものなのです。
目立つところでは「先生にものを教えなくてはいけない」という逆転現象。それまでは先生は自分より情報をたくさん持っていて、学生さんはそこから情報を引き出すだけで良かったのです。例え先生から学生さんに質問する事があっても、それは試問という一種のテストなのであって、先生は答えを知っている。学生さんは実は質問に答える必要は無くて「私は答えを知っていますよ」というサインを出しさえすれば良いのです。なんとなくキーワードを散りばめて語尾を濁していれば先生が勝手に納得してくれる。極論ですがこれが卒業研究以前の学生さんと先生の関係なのですね。
ところが卒論がスタートするとそうとも言っていられない。最初はともかく、本格的に学生さんが自分で実験をするようになると、その実験について一番知っているのは学生さんだ、という状況になります。先生からの質問があれば学生さんが先生に教える、という状況が出現します。
事ここに至って「教えることも難しさ」というのが学生さんにも身にしみることになる。だって先生はテストとして質問してくるのではなく、本当に分からないから質問してくるのです。しかも卒業研究の実験について、先生は真剣に知りたいと思っている厄介な、おっと、熱心な生徒なのです。
さて、正確に情報を伝えるためには教える側と教わる側で共通の認識からスタートし、一つ一つの事項を確認しながら話してゆく必要があります。つまりスタート地点は「そんな事知ってるよ」というレベルの話でないといけない。実はこれが学生さんにとって一番難しい部分なのだろうと思います。
だって先生に向かって当たり前のことを確認しながら話をするというのは得てして先生を初心者扱い、もっとはっきり言うと馬鹿にしている様に見え兼ねないのです。おそらく高校までの学修体験、いえ大学に入っても学校という場のなかでは卒業研究以外では「巧く教える」という行為のロールモデルは年長者が年下の人に「易しく説明してあげる」というケースのバリエーションしかないでしょう。
とは言え、実社会では目下から目上への情報伝達なんて普通のこと。ここは大学最後の卒業研究でそのテクニックをしっかり身につけて社会にでて欲しいところです。そう考えると卒業研究の意義の一つは目上の人に失礼にならない様に「教える経験」かも知れませんね。
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