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アーサー・C・クラーク氏の想像した未来社会の教育(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 アーサー・C・クラーク氏は著名なSF作家。単なる小説家に留まらず科学者としての業績もある人物で静止衛星のアイデアを提案したのはクラーク氏だという逸話もあります。代表作は映画化されて有名になった「2001年宇宙の旅」だと思いますが、昨日紹介したSF小説「渇きの海」の作者でもあるのです。

 さて、今回はこの「渇きの海」の中で強烈に印象に残っているエピソードを紹介したいと思います。

 月に恒久的な基地が建設されて旅行客はおろか観光客までが月に行き来するようになった未来。とはいえ月にいけるのはやはり富裕層のみ、という程度の近未来がこの小説の舞台です。印象に残ったのは、このストーリーの中で大きな役割を果たす一人の科学者の生い立ちが語られる部分。彼は実は孤児だったのですが(おそらく)政府の支援によって高等教育を受け博士号を取得してエンジニアとして恵まれた地位に就いています。孤児と言えばチャールズ・ディケンズの小説に出てくるような境遇を想像していた当時の私からすれば非常に恵まれた境遇に見えるのですが、でも彼自身はそのことに特に感謝はしていません。なぜならこの小説が描く近未来の世界では「文明はいまや、それ自身を維持するためだけにも、見いだしうるすべての才能を必要としている」から「あらゆる子供にたいし、その知性と適性に応じた最高度の教育がほどこされる」のであって、政府の支援は社会そのものの利益のためにもたらされたものだからだ、というのです。

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 これは高校生だった当時の私にとってはまさに「目からうろこ」。斬新なものの見方は強烈な印象を残し、結果として45年後の今でもこの「渇きの海」を読み返すことになったわけです。

 思えば当時の私は勉強して良い成績をとって、良い大学に入って、という自分が社会に認められることだけを考えていました。でも社会の側も才能ある人材を必要としているのだ。高等教育の一般化は、人権尊重とか慈善事業などの枠を飛び越えて、社会の側のニーズでもあるのだ。能力の高い人材はいくらでも必要なのが高度な文明社会なのだ。そんな考え方を知って、努力は他人との競争に勝つためではなく、競争し努力することは世の中のためでもあるのだ、ということがきれい事ではなくすっと腹に落ちたのでした。

 さて、アーサー・C・クラーク氏が小説の中で未来の教育観を描写してから約60年。現実の世界はその通りになったのでしょうか。私には個のためでなく公共のために教育をする、という理想は未だに実現できていない様に見えるのですが…。

江頭 靖幸

 

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