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有意義なディスカッションをするために(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 前々回は「朝まで生テレビ」、前回は私の研究室のディスカッションについて書いてきました。後者は(我田引水ですが)結果の出る討論として、前者は結果の出ない討論だ、と私は考えています。今回は結果の出るディスカッションをするために必要なこと(正確には研究室のディスカッションで結果を出せるように私が心がけていること)をリストアップしたいと思います。

 まず最初は討論の対象と目的をはっきりさせることです。

 先の紹介した「朝まで生テレビ」では「日本の閉塞状況をどうやって打破するか」という討論の目標が示されていましたが…、いや、ざっくりしすぎでしょう。「朝まで」と言いながらも時間は4時間しかないのですから有意義な議論をするにはテーマを絞らないと。

 その点、研究室のディスカッションでは目的はクリアです。ディスカッション前までの1週間に出た成果について話し合って、次の1週間の目標を決める。実験結果の中身の解釈で悩んだり、目標を定めることに不安があったりすることはあっても、ディスカッション自体の目標は決まっています。そしてメンバー全員に共有されているのです。

 2番目は互いに何を言っているのか、話しの内容がきちんと理解できるようすることです。

 

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 「朝まで生テレビ」で一番できていないのはこの点ではないでしょうか。話しをしたい人が多くて隙あらば自説を蕩々と語るのですが、他の人の話を聞く姿勢にはいささか欠けている。最近は田原総一朗氏への敬老意識の高まりによってこの点は改善しているのですが、誰かの主張に対して他の人が質問をし、主張した人がそれに答えることによって互いに理解を深めていく、というディスカッションの一番重要な部分が機能不全になっている点は依然として改善されていません。

 私の研究室でのディスカッションでは大部分の時間はこの部分に費やされています。学生さんは自分の研究について話して、質問するのは教授である私、という役割で固定されているので、このような問答がやりやすい、という点もあるでしょう。(本当は私だけでなくて他の学生さんが質問に回っても良いのですが。)

 「朝まで生テレビ」では一応は田原総一朗氏が司会者ですが、参加者が多過ぎで誰が誰に対して説明するのかがはっきりしません。というか話すべきことがたくさんありすぎて、本当に質疑をはじめてしまったら時間がいくらあっても足りないのでしょう。これは第一のポイントである「目的の明確化」が不充分なことの弊害でも有ると思います。

 最後に、議論のおわりに何が結果として合意されたのかを互いに確認することです。

 研究室のディスカッションの目的は「次の一週間の目標」を決めること。これがはっきりしているのでディスカッションの結果ははっきりと文章に書き下すことができます。議論の参加者でその結果を共有することができる。そして対象の学生はその目標に沿って研究することを求められることになります。つまりディスカッションの結果は具体的な行動に直結しているのです。(その行動が成果につながるかどうかはまた別の話ですが…。)

 結局元旦の「朝まで生テレビ」の結論って何だっけ?例えば、番組内では、たとえば「主権者教育」の重要性を訴えていた方もいましたが、今回の議論の参加者で「主権者教育」を実践すると決意した人は一人も居なかったのでは。そもそも「主権者教育」を実践できる立場の人が一人も居なかったと思います。これは議論によって「主権者教育」の重要性が否定されたからそうなった訳ではありません。ただなんとなく盛り上がらなかっただけなのです。

 以上をまとめると「朝まで生テレビ」は結果の出るディスカッションとしてみると全く成り立っていないということになります。とはいえ「朝まで生テレビ」は35年も続く長寿番組。大成功しているのです。だとすればそもそも「朝まで生テレビ」は結果の出るディスカッションを目的とはしていない、ということになります。討論(ディスカッション)の目的は結論を出すことだけではない。それ以外にも何らかの理由で有意義なディスカッションというものがあるのでしょう。

 ではその「意義」とはどんなものなのか。それについては回を改めて述べたいと思います。

江頭 靖幸

 

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