学校は勉強を教えるところなのですが(江頭教授)
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今回は「学校は勉強を教えるところなのですが」、「学校で教えてもらうことだけで勉強ができる様になるわけではない」という話しをしたいと思います。いや、これは大学の応用化学科のブログですから「大学は学問を教えるところだが」と書くべきでしょうか。でも「学問ができる様になる」という表現は少し微妙。これは後で触れることにしましょう。
さて「学校で教えてもらうことだけで勉強ができる様になるわけではない」というと、学校で教えてもらうことをきちんとこなしていれば勉強ができる様になるはず、と思う人が多いかとおもいます。でもこれ「きちんとこなす」というところがくせ者です。「きちんとこなす」ってどういうことなのでしょうか。学校の授業一コマについて○○分の予習と××分の復習をすること?いえ、時間をかけたからといって身についてるとは限らない。逆に授業だけで内容を理解できることもあるのでは。
これは理解度チェックの問題を解いてみて、本当に自分が理解できているかを確認しなくては。理解できていれば良し、そうで無ければさらに勉強して…。とまあ、理屈はそうですが実際にこれを実行できる人は少ないのでは。いや、それ以前に全ての教科でこれを「きちんとこなす」として24時間で足りるのでしょうか。
なら要領の良い勉強法を身につけて、勉強時間を確保できるように日程を巧く組みましょう。それに気力体力を充実させられるように食事や生活習慣にもを気を遣って…。うん、これって「学校で教えてくれないこと」ですよね。
なんで学校で勉強法や食生活、生活習慣について教えないのか。これは単純な話しで「人それぞれで一律な教え方ができないから」です。学校でできるのはせいぜい勉強法や食生活、生活習慣の重要性を指摘し、一般的な考え方を説明し、個別の具体例を紹介するくらいでしょう。この辺の課題に対しては生徒一人一人が自分自身に合ったやり方を試行錯誤を重ねながら身につけてゆくしかないのです。
結局「学校で教えてもらうことだけで勉強ができる様になるわけではない」というのはこういうことです。学校に通うのは勉強を教えてもらうための必要条件ではあります。でも、その勉強をこなす、いえいえ、そもそも学校にきちんと通い続けるだけの気力と体力を維持することから個々人の努力や工夫が要求されている。つまり勉強ができる様になるための十分条件としては学校で教えてもらうだけでは足りないということです。
さて、最後に大学のケースはどうでしょうか。大学に通う目的は第一義的には「学位を取得すること」ですね。でもほとんどの大学生にとってそれだけが目的ではないでしょう。先に教えられないことの例として勉強法や食生活、生活習慣を挙げました。でも大学生に対してならもう一つ教えられないことを加えなくてはなりません。それは「大学で(そしてその後の人生で)何を目指すのか」ということ。これこそ「人それぞれで一律な教え方ができない」ことですよね。
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