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ChatGPTの利用を規制するべきか(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 最近なにかと話題、いえいえずっと昔から話題のAIですが、最近特に注目される様になったのはやはり「ChatGPT」が登場したことが大きいのではないでしょうか。チャットというだれもが試せる形のインターフェイスでそれなりの答えがでてくるので、多くの人がすこし使ってみて「あーでもない、こーでもない」と身近にその可能性(良くも悪くも)を感じることができたのだと思います。かく言う私も少し使ってみてこのブログに記事を載せたりしたものです。(その1その2その3

 さて、このChatGPT、日本では比較的好意的に受け入れられている様ですが、なかには利用を規制する国もあるようです。日本でも一部大学では学生の使用に制限をかける動きもあるとか。

 私自身のこの問題についての考えは「禁止するのはナンセンスだろう。大学での教育はChatGPTの様なAIツールがあることを前提として、それでも学生の能力を推し量ることのできる試験やレポートの出し方(あるいはそれらに変わる何か)を工夫しなければならない。」というものですが、これが常識的な対応ではないでしょうか。

 なお、国全体で規制をかけるというのは少しオーバーに感じられますが、一時的な混乱の回避ということであれば分からない意見ではありません。とはいえ日本での規制には個人的には反対です。

(これについて本人はどう思っているのでしょう?以下の様な答えが返ってきました。まあ、そうだよね。)

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 考えて見ると、新しいツールが教育の現場に入ってくる、という問題は今回が別にはじめてではありません。電卓ができたときの算数の授業、ワープロ、とりわけカナ漢字変換システムができたときの漢字の書き取りなどなど。最近ではインターネットの検索とか、Wikipediaの登場も大きなインパクトがあったわけですが、今では当たり前に受け入れられているのではないでしょうか。

 今回のChatGPT規制もまた「AIによって仕事が奪われる!」といった議論と並んで、人間にしかできないことと機械でもできること、との区別が曖昧になっていることへの不安なのでしょう。とはいえ、いままでのコンピュータの進歩によって職を失った人(例えば電話機の交換手)はいたかも知れませんが、それによって達成されたIT革命を否定する人は今ではごく希でしょう。いえ、それ以前に蒸気機関の導入によって不要になった労働についてどう考えるのか、という言い方さえできると思います。今から十年後には、いえ数年後でも、AIでできる仕事を人間にやらせるのは人間性に対する冒涜だ、という意見が主流になっているかも知れません。

江頭 靖幸

 

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