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「環境問題が人間活動の結果である」と考えられるのは何故か(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 前回の記事では「環境が悪いのが環境問題」ではなくて「環境が(自然の変動の幅を超えて)変化することが環境問題なのだ、ということを述べました。今回はこの考えを前提に、なぜ「環境問題が人間活動の結果である」と考えられるのかを説明したいと思います。

 まず単純な言葉の定義の問題として「自然の変動の幅を超えて変化する」ことを環境問題だと定義すると「自然を」「超えて」という段階ですでに自然が原因ではないことになってしまう。自然と対立するのは人間の活動なのだから、この定義だけで「環境問題が人間活動の結果である」ということになってしまいます。いや、これはもう少し正確に考えないと。

 前回の記事では、環境問題が問題であるのは「どんな場所でもその環境に応じた生態系が存在し、そこで生業を営む人々が」居て、その場所の環境が「その人々にとっては日常の一部」である。そして「それが変化して日常が奪われることこそが問題である。」と述べました。つまり、自然の起こった現象でも、人間の活動に由来する現象であっても、こちらの定義なら「そこで暮らす人々の日常を奪うほどの環境の変化」が起これば環境問題だ、ということになります。

 そして今回主張したいのは「そこで暮らす人々の日常を奪うほどの環境の変化」を起こす原因はほとんどは人間の活動だろう、ということ。その理由は以下の図をみて頂ければ明らかではないでしょうか。

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 世界の人口は急激に増加しているので人間の活動も増加していることは明かでしょう。さらに私達は人間の活動が質的にも変化していることを知っています。(というか人間の活動が質的に変化したことがこの急激な人口増加の原因でもあるのですが。)

 つまり、ここ200年ぐらいの地球で急激に増大したものは人間活動くらいしかない。したがって環境の急激な変化の原因も、おそらくは人間活動に由来するのだろう、と推測することはそれなりの妥当性があると思われるのです。

 もちろん、何かの自然現象が偶然この100年くらいに大きく変化している、ということが可能性として無いとは言えません。しかし多くの「環境問題」がすべてそうだというのも考えにくい話。これが「環境問題は人間活動の結果である」と考える、というか仮定する、理由なのだと私は思います。

江頭 靖幸

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