「日本の文系大学院卒の就職率が学部卒より低いのはなぜ」なんだろう?(江頭教授)
| 固定リンク 投稿者: tut_staff
ニューズウィーク日本版については以前このブログで記事を書いたことがあります。その際は雑誌(とはいえ電子版)についてのお話しだったのですが、今回はニューズウィーク日本版のWEBサイトの記事について書きたいと思います。記事のタイトルは
「日本の文系大学院卒の就職率が学部卒より低いのはなぜか?」というもの。
日付は2023年11月1日(水)11時30分となっています。著者については…敢えてここでは書かないことにしましょう。
私も大学関係者の一人なので、この様なタイトルがあると気になってしまいます。で、その内容について。まず、議論の元になるデータは文科省の「学校基本調査」(2022年度)です。そして大学学部卒業生の就職率と修士課程修了生の就職率との比較を行っています。
そして学部卒業生の就職率とくらべて修士卒の就職率は微減するとのこと。さらに理工系は大学院に進んだ修士の方が就職率が上がるのに対して、文系、とくに人文科学、社会科学では下がってしまうことを示しています。
ここまではデータです。で、その後に「何故か」の説明があるのですが、結局企業が求めるのは「(大学院が向上させる)学力や能力」を発揮する人材ではなくて「従順な労働力」なのだ、としています。
うーん、それってあなたの感想ですよね。
とまあ、あきれたのですがそれでわざわざブログを書こうとは思いません。私が問題だと思ったのはその続きの部分です。
後半では、先の大学学部卒業生の就職率と修士課程修了生の就職率とを、今度は男女を区別して比較しています。
で、先ほどの結果、人文科学、社会科学で大学院に進むと就職率が下がるという傾向が、実は女性の方に著しいのだ、ということを見いだしています。
これもデータなので異議はありません。
とはいえ、「この性差も看過できない」として、文系の大学院進学者の能力に対して「企業の側はもっと目を向けるべきだ」と言い切るのはどうなんでしょうか?これって「日本の文系大学院卒の(特に女性)就職率が学部卒より低いのはなぜ」なのか、全く説明になってませんよね。
先の「従順な労働力」といい、「看過できない」と断罪する表現といい、一方的に企業が悪いと言っているように見えるのですが…。
その後に大学からの情報発信の必要性を指摘し「両者の歩み寄り、すなわち産学連携が求められるゆえんだ」とまとめているのですが、うーん、私には必要なのは「歩み寄り」ではなくて「話し合い」なのではないかと思えますが、如何でしょうか。
そもそも問題なのは、この記事を読んでも 「日本の文系大学院卒の就職率が学部卒より低いのはなぜ」なのか、思い付きレベルの仮説だけで説得力のある理由が全く示されていないことです。この文章を書いた人はたぶん文系大学院卒だと思います。もしかしたらこの文章は「それは、こんな文章を書くからだよ」という、理由が説明されないことそれ自身が理由の説明になっている、高尚なレトリックなのでしょうか。
「書評」カテゴリの記事
- 書評 マルサス 「人口論」 (光文社古典新訳文庫)(江頭教授)(2019.01.23)
- 書評「マイケル・サンデルの白熱教室2018」(江頭教授)(2019.01.21)
- 書評 ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福」河出書房新社(片桐教授)(2019.01.08)
- 書評 高橋洋一著「未来年表 人口減少危機論のウソ」(江頭教授)(2019.01.04)
- 書評 堺屋太一著「平成三十年」その3 物価の安定は何をもたらしたか(江頭教授)(2018.12.28)