「サステナビリティ」は何に対する言葉なのか?(江頭教授)
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昨日の記事では「人類の共通目標」について考えてみました。
それには「人類の存続」が相応しい。何故ならどのような立場、どのような価値観の人にも受け入れられるからだ、と述べた上で
これって「サステイナビリティ」ってことですよね。
と言い換えました。
自分で書いておいて何ですが、この言い換えにはすこしずるいところがある。今回はその点について述べたいと思います。
「人類の存続」を本当に言い換えるなら本当は「人類のサステイナビリティ」であるべきです。そこを曖昧に「サステイナビリティ」と言っていしまうと、何が持続可能なのか、分からない表現になってしまいます。
象徴的なのが国連のSDGsで言われる「誰一人取り残さない」という言葉。これは「サステイナビリティ」の対象は全ての人だ、と宣言しているワケです。でも「サステイナビリティ」が「人類の存続」という意味ならちゃんと存続できるだけの人口が生き残れば良いのだ、という理解もできるはずです。
核戦争による人類滅亡というシナリオがそれなりにリアリティを感じられた時代、1960年代から70年代にかけての時代には「人類の存続」という目標にはリアリティが感じられたのだと思います。このままでは人類は滅亡してしまうかもしれない。ならば主義主張はさておき、平和のための対話を続けなければ、と言うように国連の意義も理解し易いものだったのでしょう。
冷戦の終結とともに核の脅威は遠く感じられるものに変化し、「人類の共通目標」としての「人類の存続」も色あせた夢に見える様になりました。目標とは努力しないと達成できないものであるべきで、平和が空気のように自然に存在するになってしまえば、もはや夢とは言えなくなる。
「誰一人取り残さない」というSDGsは、その色あせた夢の替わりに出てきた「人類の共通目標」なのでしょう。これはこれで反対しにくい目標ですが、やはりどこか以前の様な切実さを感じさせない様に私には思えてしまうのです。
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