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自分の声は好き?嫌い?(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 私がはじめて「自分の声」を聞いたのは…って、普通に声をだせば自分の耳にも聞こえるわけですが、そうではなくて録音した自分の声を聞いたのは、という意味です。ずいぶん小さい頃、おそらく私が小学校入学前か、あるいは小学校の低学年だったころかと思います。叔父が持っていたオープンリールのテープレコーダーで録音してもらったのですが、そのとき何をしゃべったのか、そして自分の声についてどう思ったかは、ほとんど、というか全く覚えていません。

 その後、小学校の高学年くらいでしょうか。自分の家にもカセットテープレコーダーが来ると、自分で自分の声を録音して自分の声を聞く、ということが可能になりました。で、自分の声を聞いての感想ですが、当時の私は自分の声が嫌いだと感じていたのでした。

 自分が話をしているときに自分に聞こえている声と、録音して聞く声が結構違っている。録音した声の方が甲高くて、子供っぽい声(いや、本当に子供ですから)に聞こえたのがいやだったのでしょう。

 その後、別に録音した自分の声を聞くという機会はほとんどなかったのですが、コロナ禍を機に自分の授業を録画・録音するようになって少し状況が変わってきました。

Music_rajikase

 最近は、授業の前に前年度の自分の授業の録画をチェックする様にしているのですが、いや、俺って結構いい声しているのでは?

 とまあ、自分の声に対する評価が180°ひっくり返ったのですが、これは大人になって声が低くなったせいで違和感がなくなったからなのでしょうか。それとも単に慣れたのかもしれませんね。

 あっ、でも話している内容も影響しているかも。話の流れが自然でここぞというところでぴったりのことを言っている。「我が意を得たり」というのは正にこのことですよ…って、まあ自分でしゃべっているのを聞いているのですから我が意を得るのは当たり前なんですけどね。

江頭 靖幸

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