価値観を超えた人類の共通目標としての「サステナビリティ」(江頭教授)
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人類はいかなる共通目標を持つべきか、なんて哲学的な問を立てたとしたら一生答えを得られずに終わるでしょう。いや、話のスケールが大きすぎてまともに考える事すら難しいですよね。とにかく決めよう、と決断主義的になって(=諦めて)いるならともかく、誠実になればなるほどまともな回答には至らない。だって、人類の目標ですよ。何をどう考えて良いかは分かりませんが、何らかの結果を得て、そして一応、人類全員の同意を得ないとね。世界総選挙というか地球住民投票というか。いや、これは大変だ。
では逆に考えて合意が得られることを最優先にすれば「人類の共通目標」を設定できるのでは。誰も反対しないことと言ったら…そうだ!誰だって死ぬのはいやだ。例え自分が死ぬのは仕方ないとしても自分につながる人たちには生きていてほしいはず。自分の家系から始まって国や人類全体、とにかく滅びて死に絶えることを良しとする人は居ないだろう。なら「人類の共通目標」は「人類の存続」で良いのでは。
あっ、でもこれって「サステイナビリティ」ってことですよね。
と、まあ、こんな議論がどこかで行われたかどうかは分かりませんが、「サステナビリティ」という概念が人類の共通目標として相応しい、というか誰も反対しない(しにくい)ものであることは確かでしょう。
どのような立場、どのような価値観の人であっても、人類の滅亡を望むということは考えられません。いや、ごくわずかそのような考えに至る人がいるかも知れませんが、その人がその価値観を誰かと分かち合って広げてゆく、という状況が想像できない。人類滅亡待望論はお話しとしてはともかく現実的には大きな勢力になることはないでしょう。
人類の共通目標のより具体的な候補、たとえば「共産主義社会の建設」などとは違って「サステナビリティ」は大きな対立を起こすことはない。その「大きな対立」に世界は既にさんざん悩まされてきたのですから、たとえば国連などが「サステナビリティ」という目標を重宝しているのはある意味自然なことなのかも知れませんね。
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