世界平和とサステイナブル社会(江頭教授)
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我々応用化学科が所属する工学部、そして工学部が所属する東京工科大学では「持続可能な社会の実現を目指す人」を求めている、とアドミッションポリシ-で述べているのですが、では「持続可能な社会の実現」とは具体的にどのようなことなのでしょうか。今回はその意味を「世界平和」との対比で考えてみたいと思います。
「世界平和」という言葉は私には何となく手垢がつきすぎているというか、あまり具体性が無い様に感じられるのですが、皆さんはどうでしょうか。実際、世界には具体的に戦争をしている場所がいくつもあるし、いままでもあり続けていました。「世界平和」が世界の全ての場所が平和になる、つまり世界の全ての場所で戦争や紛争が無くなる、ということだと考えると、「世界平和」を真面目に希求するするならば、それはそれぞれの個別具体的な戦争の終戦プロセスに向けた努力したり、紛争解決のスキームを見いだすための探究するのが筋でしょう。そこに「世界平和」という(言わずもがなの)言葉はあまり関係ないのでは。
「持続可能な社会の実現」という表現もこれに近いと言えるでしょう。現在の社会を持続不可能にするような問題は原理的には無数に考え出すことができますが、現実的に考えれば「地球温暖化」とその背景にある「エネルギー問題」がその主流で、これを社会の持続可能性と表現するのは如何にも迂遠な感じがしてしまいます。
しかし私は、この「世界平和」も「持続可能な社会の実現」も、一定の時代背景に基づいた文脈でこの用語が使われているのだと思っています。
まず「世界平和」について。先ほど「世界平和」は「世界の全ての場所で戦争や紛争が無くなる、ということ」と書きました。確かに字面的にはその通りなのですが、第二次世界大戦終結から1989年の冷戦終結までの期間では「世界平和」とは「世界戦争が起こっていない状態」という意味合いの方が強かったのだと思うのです。
そして当時考えられていた「世界戦争」とは全面核戦争であり、その帰結はおそらくは「人類の滅亡」でした。人類が滅亡する、つまり人類そのものが持続不能になる、ということだったのです。
このような文脈だと「世界平和」と「持続可能な社会の実現」とは歴史のある期間、おなじ概念を指していたと考えることもできます。もっとも、「持続可能な社会」という概念自体は冷戦の始まりからかなり遅れて出てきたものですからより正確には「世界平和」という言葉が「持続可能な社会の実現」と言い換えられたとみた方が良いでしょう。
その背景には「人類の滅亡」の原因となり得る熱核戦争の危機がぐっと低減され、代わってエネルギー資源の供給不安定化による経済危機(いわゆるオイルショックです)が新たな「人類の危機」として認識されるようになったことがあるのです。
現在ではエネルギー資源の、具体的には石油の問題とされていた危機は地球温暖化の危機へと微妙に入れ替わっていますが、それでも「世界平和」と「持続可能な社会の実現」とにはある種の連続性があるのですね。
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