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「徹子の部屋」と研究(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 「徹子の部屋」は黒柳徹子さんによるインタビュー番組でつい先日49年目に入ったとか。今回はこの番組の話、ではなくて昔に見たこの番組のCMの記憶をもとに話をしたいと思います。

 もうずいぶんと昔になるのですが、この「徹子の部屋」について黒柳徹子さん本人が紹介するCMがテレビで流れて居たのを何気なく聞いていました。そのなかではこの番組をいろいろな人に「楽しいお話を聞く」番組だと紹介していました。それは正にその通り。ですが、私がハッとしたのはそのいろいろな人たちに話をしてもらう内容の例として「今、研究していること」という言葉が出てきたことです。

 へぇー、「徹子の部屋」には科学者も出るんだ。

などと当時の私は勝手に思い込んでいたのですが、これはそういう意味ではないでしょう。

 「研究は科学者(≒研究者)がすることだ」あるいはもう一歩踏み込んで「研究者以外の者がする研究は研究の名に値しないのだ」という思い込みが私の中にあって、その認識と黒柳徹子さんの言葉遣いとの間に矛盾があった、ということなのだと思います。

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 要するに「研究」という言葉の使い方の問題だと思うのです。

 「大学など研究機関に所属した研究者が行う研究」が「研究」であることは間違いがない。とはいえ「在野の研究者による研究」もあるし、もっと言えば

 「最近、○○が面白くて色々調べているんだよね。」

などという軽いレベルの話でも

 「最近○○について研究してるんだよね。」

という言い方もできる。そもそも「研究」という言葉はそのぐらいのニュアンスで使うのだ、というのが黒柳徹子さんの言語感覚で、それがあのCMにも表現に反映していたのだと思います。

 当時の私の感覚とは違っているのですが、まあ普通に考えれば世の中の大勢は黒柳徹子さん側でしょう。

 では逆に、私の様に「研究」を重く捉えている人がどのくらいいるのでしょうか。それは分からないのですが、おそらく「研究者」と呼ばれる人たちにはそのような言語感覚の持ち主が多いのではないか、などと想像しています。

江頭 靖幸

 

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