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公平な資源の配分とは?(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 資源小国の日本は海外から資源を輸入して加工、付加価値を高めて海外に輸出することでさらに資源を輸入するための外貨を得ることができる。

 これが加工貿易と呼ばれるものです。この考え方、おそらく小学生の頃に習ったと記憶しているのですが、今の小学生もこんな風に習うのでしょうか。

 さて、このように習った子供時代。ずいぶん不公平なことだ、と感じた記憶があります。「同じ地球に生まれた人間でありながら、資源に恵まれた国の人々はその恩恵を享受できるのに、資源小国の日本に生まれたひとは、その資源を使うために資源大国に人たちにお金を払う必要がある。べつに生まれたくて資源小国に生まれたわけでもないし、先祖が資源を使い尽くしたわけでもないのに、なんでこんな差別的なことがまかり通るのか。いっそのこと、資源に関しては必要に応じて無償で提供する制度を作るべきだ。」などなど。

 もちろん、これは子供時代の自分の浅はかな考えなのですが、ふと思ったのはこの考え方を理論的に否定するのは結構難しいのではないか、ということです。

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 例えば、国という枠組みの中に入ってみると、資源によって得られる利益の幾分かを、税金などの形で国が持って行く、という形態は普通にあるのではないでしょうか。国はその分け前を国民のために使うのですから、一つの国の中では資源のよって得られた利益は国民に分配されているわけです。それを世界全体に広げるべきだ、言われるとなかなか反論しにくいでしょう。

 もちろん、「そんなことできるわけがない」と言うのは簡単なのですが、「それは間違っている」とはなかなか言いにくい。

 こんな言い方もあり得ます。「国連の持続可能な開発目標(SDGs)では『誰一人取り残さない』発展を標榜しているではないか。同様に『誰一人仲間はずれにしない』資源利用も国連の目標にふさわしいのでは」とか。

 これも面と向かって間違っているとは言いにくいでしょう。資源の存在はその土地に暮らす人々の歴史や努力とは無関係だ、という点が話をややっこしくしている思います。

 以上、暇つぶしの妄想なのですが、でも、平等や公平という問題は私たちが思っているほど自明なものではない、ということは覚えておいても良いでしょう。

 

江頭 靖幸

 

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