「人や国の不平等をなくそう」は正しいのか(江頭教授)
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私が大学院で担当する「サステイナブル工学概論」という授業については前回のブログで紹介しました。その際、学生さんたちのレポートを参考に、このゴールはいささか微妙、というか何がこのゴールに役立つのかが分かりにくい、という話を書きました。
今回はその補足。そもそもこのゴール「人や国の不平等をなくそう」は正しいのか、という意見について紹介したいと思います。
まず「人や国の」とありますが、国の不平等をなくす、という点については異論はありませんでしたので「人の不平等をなくそう」が正しいのか、という点が議論になります。
学生さんからは「そもそも人が平等になったことなどない」のだからこのゴールは無謀だ、という意見もありました。でもそれを言ったら全ての人が腹一杯食べられた時代などないのですからゴール1から全て無謀ということになるでしょう。実際には産業革命以来の技術革新、とくに農業技術の革新によっていまや世界の全ての人に充分なだけの食料を生産することはできるのです。その意味ではこのゴールは決して無謀ではない。今でも飢餓をゼロにすることができないのは人類に対しての自然の厳しさ、などでは無く、人類自体の生産と分配の計画能力の問題となっています。
そう考えると「人の不平等をなくそう」はそれに輪を掛けて人類自体の問題でしょう。しかし、それ以前の問題点を指摘してくれた学生さんもいました。「人が本当に平等になってしまったら、革新や進歩がなくなってしまうのではないか」と言うのです。
これは重要な指摘だと思いますが、「平等」とは、あるいは「不平等」とはどういうことか、からしっかり考える必要がありそうです。実のところ「人の不平等をなくそう」という試み自体は何度も行われていて、その結果はいつも芳しくない、というのが私の認識です。
さて、少々難しい話になってきましたが、実のところSDGs10番目のゴール「人や国の不平等をなくそう」はどのぐらい真剣に考えられているのでしょうか。SDGsの17のゴールは実はトップダウン的に決められたものではありません。国連という場で取り上げられたいろいろな問題をグループ化して整理したものがSDGsのゴールであり、実際には169のターゲットと232の指標こそがSDGsの本質と考えた方が良いでしょう。
例えば10番目のゴールに対する最初のターゲットは
2030年までに、各国の所得下位40%の所得成長率について、国内平均を上回る数値を漸進的に達成し、持続させる。
といったもの。SDGsの期限が2030年であることを考えると、せいぜい不平等の是正くらいで「人の不平等をなく」してしまう心配は要らないようです。
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