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電池が付属しない時計を買いました。(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 私が子供の頃には蓄電池というものは無くて……なんて嘘ですよね。今でも(ガソリン)自動車の「バッテリー」として一般的に使われている鉛蓄電池など100年以上の歴史があるので、61歳の私が生まれるよりずっと前から実用化されていたのです。にもかかわらず、私が蓄電池が新しいものだ、と感じるのは身近な電池、つまり単三電池や単四電池の代用になる電池が世の中に出てきたころのことを思い出すことができるからでしょう。

 単三や単四形の蓄電池は使い捨ての電池に比べて高価ですが、一度購入すれば再充電して利用できるのでもう新たに電池を買う必要はない。これは良い、と思った私は乾電池が切れるたびに新しい蓄電池型のものに買い換えました。ほぼ交換は終了。いまの私は自分の家の引き出しに単三や単四の充電式乾電池を常備していて、なにかの電池がなくなった場合に備えています。これで私は「使い捨て乾電池」を卒業したことに。ちょっぴり未来の生活に踏み込んだ……と思っていたのですが。

 実際には身の回りから「使い捨て乾電池」をなくすことは意外と難しい。とくに新しく電池を使う家電製品を買うと「使い捨て乾電池」が付属してきますからね。

 などと考えていたら、先日買った時計式の置き時計のパッケージをみると以下の様。

Fig1_20240712085801

おわかりいただけただろうか

この時計、単三電池で動くのですが、それは別売り。パッケージには付属していないのですね。

Fig2_20240712085801

こういうのでいいんだよ

こういうので

ということで、私は

こんなこともあろうかと

かねてより常備していた充電式の単三乾電池を取り付けて無事に使い始めることが出来ました。

 さて、この時計(結構激安の部類だとおもいます)のパッケージにいわゆる「動作確認用の電池」を付けない、と決めた人たちは単純にコスト削減が目的だったのかも知れません。でも、それが結局は余計な乾電池の排出を防いだとも言えるわけで「地球に優しい」ということにもなまるのですね。(ちょっとオーバーかな?)

 

江頭 靖幸

 

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