核戦争と石油危機(江頭教授)
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先日の「人間はサステイナブルか?」という記事では、「人類はサステイナブルか?」と考える意識が広まったことが「人類をサステイナブルにするにはどうすれば良いか?」を考えるサステイナブル工学の始まりだろう、という私の考えを書きました。
今回は、「人類がサステイナブルではなくなる」つまり、人類が滅亡してしまうかも知れないと考える理由、何が起これば人類が滅亡してもおかしくない、と考えられるのか、そのシナリオについて考えてみたいと思います。
まず一つ目は全面核戦争。広島、長崎の原子爆弾によって核兵器の強力さは多くの人々に強く印象づけられていました。第二次世界大戦後にはアメリカとソ連の間での核兵器の開発競争が起こり、原子爆弾よりも強力な水素爆弾の実験に両国が成功します。核兵器を搭載した大量のミサイルが作られ、全面核戦争でそれらが一気に爆発すれば人類滅亡が起こりうる、という状況が出現しました。
人間が開発したものによって人類が滅亡してもおかしくない、この状況はおそらく人類の歴史で始めての現象だと思います。それだけに多くの人に「人類滅亡」の可能性とその意味について、リアルに考える事を強いたのだと考えられます。
もしかしたら人類は滅びるかも知れない、そんな考えを多くの人が意識している状況下で、今度は石油危機が起こります。これは経済面で人々の生活に現実的な影響を与えたのと同時に、資源枯渇による人類の滅亡、というもう一つのシナリオを人々に意識させたのだと思います。
以前このブログでも採りあげた「成長の限界」は、その内容と同時に、このような社会的な背景もあって大きなインパクトを持ち得たのでしょう。「成長の限界」が予測したのは、このままでは「人口と工業力のかなり突然の、制御不可能な減少」が起こる、ということで産業社会の崩壊と大量の餓死者の発生、というもので生活水準や人口はどうあれ、人類は生き残る、という点では核戦争による人類滅亡より救いはある。とはいえ充分に恐ろしい未来像であることは明かです。
このような悲観的な未来像を背景として、人類、あるいは人類の文明を持続させる、サステイナブルにさせる、ということが「人類共有の目標」として共有されるようになったのでしょう。個別具体的な問題に対しては立場の違いや意見の相違によってなかなか同じ目標を共有することはできません。それでも、「人類をサステイナブルに」という目標に反対する人が多数派を占めることはないでしょうからね。
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