公害の記憶(江頭教授)
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「公害」という言葉を聞くことはかなり前からほとんど無くなっています。環境に関する授業のなかで私自身が口にするとき、そして海外での話題として聞くぐらいでしょうか。中高生のみなさんは歴史の授業で触れるだけかもしれません。
しかし、私の子供の頃、1970年代ごろは公害という言葉を聞かない日がないほどに大きな関心を集めていた話題でした。今の温暖化問題と同様な、あるいはそれ以上の世間の関心事だったのです。
子供時代の私もこの「公害」という問題に強い関心を持っていました。いえ、そんな積極的な態度ではありません。実のところ、「公害」が怖くて怖くてしかたがなかったのです。「公害の影響で得体の知れない病気になって死んでしまうのではないか」という自分自身の未来についての不安もありました。同じくらい恐ろしかったのは「公害によって文明が崩壊する」ことでした。きれいな水や空気をもとめてスモッグに覆われた廃墟の街をさまよい歩く人々、そんなイメージが頭から離れなかったのです。
「まあ、考えすぎだよね」と言えるような極端な考えなのですが、何しろ子供のことです。恐怖心にとらわれると同時に、そんな公害を野放しにしている大人たちに激しい憤りを感じる様になってゆきました。「公害を生み出した愚かな人間たちが滅びるのは当然」などと考える様になったのは中学2年生くらいだったでしょうか。
いま思い返してみると、(子供時代の)私がこんな風に感じていた理由の大きな部分は、公害問題の語られかた、話題にされる時の枠組みが原因になっていたと思います。つまり、「公害は現在の経済成長を続けている社会の必然的な帰結であり、公害問題の解決には社会を根底的に改革するしかない。でも大人たち(権力者たち)がそんなことを許すわけがない。」かなり極端な表現ですが、当時テレビなどで公害について語られるとき、やはりこのような考え、つまり問題解決には普通で無い変革が必要だ、いままでの延長線上には答えがない、という思い込みが見え隠れしていました。
さて、このような公害は実際にはどうやって解決されたのでしょうか?
実際に行われたのは大気汚染防止法、水質汚濁防止法といった法律の整備でした。そして、各企業の工場では法律に従うために粛々と公害対策の施設が導入されました。その結果、大気を汚染しなくても、水質を汚濁しなくても充分に製品を作ることができる、産業を発展させ皆が豊かな生活を送ることができる、ということが次第に明白になってきたのです。
結局のところ、公害問題の解決には大変革が必要だったわけではありません。多少時間はかかったものの今まで通りの普通のプロセス改善を続けた先に解決があったのです。
「公害」という問題に対して警鐘をならすこと、それは大切なことです。しかし、実際の問題解決に必要なのは結局は一つ一つの小さな汚染源を無くしてゆくことです。私が工学の人間だからそう感じるのかもしれませんが、本当の公害問題の本当の解決は現場にこそ存在した、そしてその場合に大きな役割を果たしたのは工学なのだ、そう思うのです。
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