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核戦争を描いた映画「博士の異常な愛情」(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 持続可能な世界を目指すサステイナブル工学の背景にはこの文明がサステイナブルではない、つまり人類が滅亡するかも知れない、という概念があり、その一番リアルな恐怖は全面核戦争ではないか。ということで核戦争を描いた映画を紹介しています。

 今回紹介するのは「博士の異常な愛情」。1964年のアメリカ映画です。この邦題は若干はったり気味で内容とは関係ありません。でも「ストレンジラブ博士」というタイトルではインパクトは弱いですし、内容が分からないのは同じですよね。

 さて、この作品で描かれる核戦争の恐怖のポイントは意図して戦争を行ったのではなく、トラブルによって偶発的に核戦争が起こってしまう、という点にあると思います。物語はアメリカが「国内のどこかに核攻撃をうければ自動的にソ連全土に対する報復攻撃を行う装置」を開発し、その存在を世界、というかソ連に伝えようとする時点からスタートします。実はソ連も同様の自動報復装置を開発しており、その装置はすでに起動していたのでした。

 これは東西冷戦時に核武装によって戦争を回避するために使われた理論「相互確証破壊」を分かりやすく表現したものです。相手に戦争を仕掛ければ確実に報復される、という状態なら戦争を仕掛ける人間はいないだろう。この考え方は確かに合理的なのですが、米ソ両方が同じ事を考えて同じ体制を作ったとしたら、何かの切っ掛けで戦争が始まれば人類が滅亡することになる。人類を滅亡させるための核兵器を米ソが懸命に作っている様は少し引いた目で見るといかにも奇妙であり、「相互確証破壊」の略称MADが示すとおり、狂った行動であるように見えるのです。

 この「博士の異常な愛情」という映画でおこる「何かの切っ掛け」は米軍の基地司令官が精神の平衡を失う、という事態からスタートします。

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基地司令が「すでの核戦争がおこり、米国が攻撃されている」と虚偽の情報を流すと基地は封鎖されて基地司令の行動を遮るものは事実上だれもいなくなってしまう。その上で自分の基地に所属する航空機を使ってソ連を核攻撃するように命じるのですが、その命令が実施されて一つでも核爆弾がソ連内で爆発すれば、すでにソ連で起動している「自動報復装置」が起動されて全面核戦争が起こってしまうのです。映画はソ連に出撃した飛行機による核攻撃をなんとか防ごうとする基地の副司令や米国大統領たちの努力を描くのですが、本人達の真剣さとはうらはらに、これが如何にも滑稽に描かれています。本作は深刻な問題提起にもかかわらず、実はコメディなのです。

 この作品をみると「合理的」な行動が何を意味しているのか、について考えさせられるものがあります。「相互確証破壊」は米ソそれぞれの国にとっては「合理的」な判断の積み重ねの結果なのですが、その結果はどうだったのでしょうか。実際の歴史では全面核戦争は回避されたのですから、「相互確証破壊」こそが正しい方針であったと言うこともできると思います。しかし、この映画で示されたようなリスクが本当に必要だったのか、については疑問も残るところです。

 「合理的」という事の限界は現在の温暖化問題にも共通するものだと思います。化石資源を利用し続ける合理的な理由はいくらでもありうるのですが、合理的であることは適切な判断の必要条件であるに過ぎず、十分条件ではないことを心するべきだと思います。

PS1:

 この映画の最初のテロップでは米国政府が、この映画のシナリオの様なトラブルで核攻撃が行われることはあり得ないと断言している旨の説明があります。とはいえMADのリスクの途方もなさには変わりがないと思うのですが。

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