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質量と重量の違いについて(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 重量と質量の違いについては先日の記事に書きました。

 私達は「力」を直接感じることができますが、質量を直接感じることはできません。ですから地球の重力によって物体が引きつけられる力をその物体の「重さ」として認識しています。しかし物理学を学習して運動方程式の「力」と「加速度」とを関連付ける係数として新たに「質量」の概念を知ると、いままで「重さ」として認識していた「物体のなにかの量」が重力による力、すなわち「重量」なのか、新たに知った「質量」なのか、混乱が生じる。でも、月面や宇宙空間など重力が異なる世界を想像すると「重量」と「質量」の違いが見えてくる。

そして

 月面や宇宙空間では「重量」は変化してしまいますが「質量」は変わらない。そのことを考えると、私達が「物体のなにかの量」として認識している「重さ」という概念に本当に相応しいのは「重量」ではなくて「質量」だ、ということに気が付く、という訳ですね。

 さて、今回はその記事を書いている途中で見つけた以下の論文を紹介したいと思います。

森 雄兒著

計量法改正がもたらした「重さ ・ 重量 ・ 質量」の混乱

物理教育 第 65 巻 第 1 号(2017)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/pesj/65/1/65_20/_pdf/-char/ja

全文が公開されているので、詳しくは本文を読んで頂くとして、私なりにこの論文の内容をまとめましょう。まず、この論文の問題意識は1992年の計量法の改正に関するものです。この改正によって、それまで「重量」を意味していた「重さ」という概念が「質量」に入れ換えられてしまった、その結果生じた混乱によって物理の学習が困難になっている、というのです。

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 先にも書いたように私達は質量を直接感じることはできません。ですから、私達が一般的に(例えば商取引などで)使う「重さ」という概念は「重量」よりも「質量」が相応しかった、という歴史的な経緯があったと思います。「重さ」の概念を「重量」ではなく「質量」に入れ換えるというのは、ある意味革命的な変革を社会的に受け入れさせることになるのだが、それが計量法の改正という形でひっそりと行われたのだ、という指摘には、なるほどうそうか、と納得するのは確かです。その結果、今まで「重さ」に用いていた「kg」という単位がいつの間にか質量の単位にもなる。そして「重量」と「質量」は全く別の物理量なのに数値も単位も同じになってしまうのですから、混乱は必至だというわけですね。

 数値はともかく(いや、むしろ数値は同じにしておかないと現場は大混乱になります)、単位は別にしないと。そう考えると「重量」を「kgw」や「kgf」と書いて区別するのは分かりやすい。でも既に「重量」が「kg」の単位で書かれた文書は世の中にごっそりあるのです。

 本論文によれば、この問題を解決すべく考え出されたウルトラCが「重量」ということばを文脈に応じて「質量」と読み替える、という「経産省 ・ 用語法」だということです。

 著者の森氏はこの「経産省 ・ 用語法」に痛くご立腹なのです。でも私にはなかなか良い手ではないか、と思えるのですが……。

 そもそも森氏の論説は我々の素朴な「重さ」の概念が「重量」と等価である、というところからスタートしています。でも、私には「重さ」は物理学学習前の「重量」と「質量」が未分化の状態での認識であり、両方の意味を含んでいると思えるのです。そして、本論文には

本論説のメインテーマは日本の産業政策が物理教育における「重さ・重量と質量」にいかに混乱をもたらしているかを明らかにすることであった。

と書かれているのですが、混乱が生じるのは「重量」と「質量」の違いが本当に難しいからで、別に「よらしむべし,知らしむべからず」とばかりに国民を見下して「グローバリズムの流れに前のめりになっ」ている政府が悪いわけでは無いのでは。

 論文中に「計量行政審議会のメンバーに教育関係者は 1 人も加わっていない」と批判的に述べられているのですが、もし教育関係者がメンバーになってこの森氏のような主張をすると予測されたとすれば、この審議会を構成した官僚は「いい仕事したのだな」と私には思えてしまいます。

 

江頭 靖幸

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