「科学」はなぜ正しいのか?(江頭教授)
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今回のお題は、「科学」はなぜ正しいのか?です。
おっと、このタイトルでは「科学」は正しいことが前提となっていますね。でも、これは広く受け入れられているのではないでしょうか。個人の判断ならばともかく、集団で何かの方針を決める際に「科学的には正しくない」とされていることを判断の基準として押し通すのはなかなか困難です。つまり、一般的には「科学」は正しい、とされているのですが、それは何故か、というのが正確な表現でしょうか。
もっとも、集団で何かを決める場合に科学的判断が問題になることはあまり多くはなさそうです。それに科学的判断には「Aである」「Aでない」の他に「よくわからない」という解答があり、何か判断が必要な事項(つまり未知の問題を含んだ事項)ではほとんどが「よくわからない」になってしまうでしょう。それでも何かを判断する(決断する)必要があるのが人間の世の中というモノです。
さて、話を元に戻して「科学」はなぜ正しいのか、もっと正確に言えば、「科学」はなぜ正しいと見なされているのか、について考えてみましょう。
もったいぶるのは止めましょう。科学が正しいのは「実験によって確認されているから」というシンプルな考えから始めましょう。
とはいえ、本当に実験で確認されていることはそんなに多くはない。ですが、科学は単なる実験結果の羅列ではなく、体系的な理論を持っています。理論に基づいて予測できることは無数にありますが、その中の典型的なものが実験的にも正しいと確認されていること、それが科学が正しいと見なされる理由です。
要するに、科学の理論に基づいたいくつかの予測が「当たる」ことが実験的に分かっている。だから科学の新しい予測も当たるに違いない。単純化すればこれが科学を信頼する根拠ですが、科学による予測は日々行われていて当たり続けているので、その信頼性が絶対的なレベルに達している、と言えるでしょう。
科学による予測、などと言うとどんなにすごいことかと思われるかも知れませんが、普通に機械製品を設計・生産したり化学工場を計画することがすでに無数の「科学による予測」の積み重ねでできているのです。我々が普通の機械を作って化学物質を生産していること、それ自体が「科学の予測の正しさ」の証となっているわけですね。
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