「世界大戦争」の海外向け予告編を見た(江頭教授)
| 固定リンク 投稿者: tut_staff
持続可能な世界を目指すサステイナブル工学の背景にはこの文明がサステイナブルではない、つまり人類が滅亡するかも知れない、という概念があり、その一番リアルな恐怖は全面核戦争ではないか。ということで核戦争を描いた映画を紹介しています。
最初は「渚にて」を紹介した(こちらの記事)のですが、それに続けて紹介したのが「世界大戦争」でした(こちらの記事)。
さて、この映画「世界大戦争」について、海外から来た学生さん達に話をする機会があり、ついでにこの映画も紹介しようと思い立って英語での資料を探してみました。すると英語版(タイトルは「THE LAST WAR」。人類が滅びてしまえば戦争も最後、という意味ですね。)の予告編を見つけることができました。
で、以下の文章はその予告編の始まりに示されるものの一部です。
以下に書き下しと和訳を載せておきましょう。
We Japanese are in a better position than people of any other nation to make a film such as this. We side with no one: we are inimical to no one. "The Last War" is presented as our appeal to the world.
私たち日本人は、他のどの国の人々よりも、このような映画を作るのに適した立場にいる。私たちは誰の味方でもなく、誰の敵でもない。「最後の戦争」は、私たちの世界へのアピールとして描かれている。
いや、あのー、これ本気で言ってます?
私たちは誰の味方でもなく、誰の敵でもない。
って、どう見ても日本はアメリカを中心とした西側諸国の側に居たのではないでしょうか。よくもまあ、こんな白々しい文章が書けるものだ、などと今見ると思います。東側の人たちがこの文章を見たらどうと思ったでしょうか。
しかし、当時の日本人ににはこんな気分があったのだろうか、とも私は想像するのです。太平洋戦争で戦った相手であるアメリカ、そのアメリカに敗北し、その陣営の一部として組み込まれているという事実は、当時の日本人(1961年ですから戦後16年しか経過していません)にとっては容易には受け入れられなかったのかも知れません。
先の記事で私は
結局のところ、本作で描かれる核戦争はある種「巨大な天災」のようなものです。この点私には、核戦争は自分たちにはどうしようもない、という恐怖の描写であると同時に、逆に自分たちの責任ではない、というある種の気楽さも感じられる描写の様に思えました。
と書きました。この様に見えてしまうのは、当時の日本人が西側諸国の一員として世界の危機の責任の一端を担っているとうことを認め難く思い、自覚できないでいたことの現れだったのではないでしょうか。
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