核の脅威とサステイナブル社会(江頭教授)
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今の私達にとってはサステイナブルな社会の実現の重要性は余りにも明白で疑問の余地などないように思えます。とはいえ、この「サステイナブルな社会」という概念は実はそんなに歴史のあるものではありません。では、この考え方はどうして生まれたのでしょうか。
もちろん、一つの単純な出発点があるとは思えません。しかし、その原点の一つにはかつて世界を覆った核の脅威があると私は考えています。
東西冷戦の最中、アメリカを中心とした西側陣営とソビエトを中心とした東側陣営とは互いに大量の水爆ミサイルを保有しており、その全てが発射されれば世界の全ての人間が死亡するだけでなく、地球の環境にも大きな変化が起こるとされていました。どちらの陣営も「国破れて山河在り」となって、その山河もかつての山河ではなく、もはや「城春にして草木深し」とはならないのです。
これぞ正に世界の終わり。つまりサステイナブルではない世界の有りようが具体的に、リアリティを伴って予想できる様になった。私達は世界がサステイナブルではない可能性を目の当たりにしてはじめてサステイナブルな世界の重要性に気が付いたのではないでしょうか。
さて、今年(2024年)のノーベル平和賞が被団協(日本原水爆被害者団体協議会)に贈られたことがニュースになっています。
日本からのノーベル賞とあってNHKを始めマスコミも大きく採り上げていますね。
恥ずかしながら私は「被団協」という組織を知りませんでした。
もちろん、原爆や水爆、核兵器の開発・実験・製造・使用に反対する運動があることは知っていたのですが、東西冷戦が続いていたころのその手の団体は政治性が強い、というか、純粋に世の中を良くするためではなく、ある意味で東西冷戦の影響を受けていた様に思えて近寄りがたく感じていたものです。聞くところによると被団協はそのようなしがらみからは距離を置いていた団体の様で、その点も今回の受賞の対象に選ばれた理由の一つかも知れません。
そして、ソビエトが崩壊して東西冷戦が終結しその影響が弱まったころには、逆に核兵器に反対する運動そのものが目立たなくなった様に思います。東西冷戦の終結で核の脅威が完全に無くなったとは言いませんが、それでも一時期に比べて脅威が弱まったのは事実です。それに対応して反核運動の存在感も小さくなっていったのでしょうか。
今年度、ノーベル平和賞の受賞によって被団協が注目を集めたことは被団協にとっては慶事です。でもそれは、世界全体が再び核の脅威にさらされつつ有ることの反映なのかも知れません。
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