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核戦争を描いた映画「渚にて」(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 以前もこのブログに書いたのですが、サステイナブル工学の前提には「人類はサステイナブルか?」という問いがあり、その問いが真剣に検討されるようになったのは「人類がサステイナブルでは無いかもしれない」、つまり「人類が滅びてしまうかも知れない」という可能性がリアルに感じられる様になったからだと私は思っています。

 人類滅亡の可能性としてもっともリアリティをもっていたのは「核戦争」の恐怖だったと言えるでしょう。というわけで、核戦争を描いた映画を通じて当時の人々の感覚、核への恐怖について考えてみたいと思います。

 表題の映画「渚にて」は1959年の作品です。「世界的な規模の核戦争によって地球の北半分は高濃度の放射能で汚染され、すべての人間が死に絶えた。核戦争の被害を免れた南半球のオーストラリアの人々にも拡散してくる放射性物質による死が確実に迫っている。」という状況のもと、人類最後の人々の最後の日々をこの映画は描いています。

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 確実に死ぬことがわかった人の最後の日々、難病もので良くあるシチュエーションのなのですが、この映画は「全員難病もの」とでも言うべき特異なシチュエーションです。すべての登場人物が自分の生きている意味を見つめ直すことになり、それを観ている我々もいつしか何が本当に大切かを考えていることに気づきます。翻って核戦争を正当化する理由が、私たちの本当に大切なものを賭けるに足ものなのかどうか、という問いにつながってゆく。そして、この映画の最後のメッセージ

"THERE IS STILL TIME.. BROTHER."(「兄弟よ、まだ時間はある」)

これが意味するところは明白だと思います。

 さて、この映画は核戦争の恐怖を描いているのですが核爆弾の爆発する様子は全く描かれていません。代わりに放射能で住人が死滅した街が描かれていて、それがリアルな恐怖を感じさせていると思います。このような描写のおかげか、この作品はモノクロであるにもかかわらず現在でも視聴に耐える作品であると思います。

 

江頭 靖幸

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