授業録画という思わぬ収穫(江頭教授)
| 固定リンク 投稿者: tut_staff
コロナ禍は、教育現場に大きな変化をもたらした。対面授業が困難になり、オンライン授業が急速に普及したことは記憶に新しい。私の大学でも、オンライン授業への移行を余儀なくされ、試行錯誤の連続だった。その中で始めた取り組みの一つが、授業の録画である。
当初は、感染対策のために欠席した学生への対応として、録画を始めた。しかし、録画という行為は、当初の目的を超えて、教育活動に思わぬ影響を与えることになった。
録画作業は、正直なところ、手間が増える。授業の準備に加えて、録画の準備、撮影後の編集作業など、負担は決して小さくない。学生の視聴状況も芳しくなく、1年前の動画の視聴回数はわずか10回程度だった。学生にとって、録画された授業は、リアルタイムの授業に比べて魅力に欠けるのかもしれない。
ところが、私自身にとって、授業録画は予想外の効果をもたらした。それは、自己点検と振り返りのためのツールとしての活用である。毎回の授業前に、昨年度の同じ授業の録画をチェックすることで、自身の説明の仕方、内容の構成、時間配分などを客観的に見直すことができるようになったのだ。まるで、もう一人の自分が授業を評価してくれるかのような感覚である。
さらに、授業録画は、記録としての役割も果たしてくれた。
ある学生から「試験でノート持ち込み可と言っていなかったか」と質問されたことがあった。記憶をたどっても、そのような発言をした覚えはない。しかし、学生の主張も無視できない。そこで、第1回授業の録画を確認したところ、ノート持ち込みについては一切触れていないことが判明した。録画がなければ、学生との間で誤解が生じたままになっていたかもしれない。
この出来事をきっかけに、授業録画は単なる記録以上の意味を持つことに気づかされた。それは、教師と学生の間のコミュニケーションを円滑にし、信頼関係を築くためのツールとなりうるということだ。授業内容を正確に記録することで、誤解やトラブルを防ぎ、学生からの質問にも的確に対応できる。
もちろん、録画された授業が万能なわけではない。学生の集中力や積極性を維持するためには、リアルタイムの授業における双方向のコミュニケーションが不可欠である。しかし、録画という手段を効果的に活用することで、教育の質を高めることができるのではないだろうか。
コロナ禍で始まった授業録画は、当初の目的を超えて、教育活動に新たな可能性をもたらした。自己点検、振り返り、記録、そして学生との信頼関係構築。授業録画は、教育者としての成長を促し、より良い教育を提供するための、強力なツールと言えるだろう。
さて、皆さん。こちらの記事、内容としては2024年12月11日の「授業の録画は、いろいろ、役に立つということ(江頭教授)」という記事と同じだということにお気づきでしょうか?実はこの記事は12月11日の記事をChatGPTに読み込ませて以下の要約を得て
- コロナ禍をきっかけに授業を録画し、学生が後で視聴できるようにする取り組みを始めた。
- 録画作業は手間が増えるものの、1年前の動画の視聴回数は約10回と少なかった。
- 自身の動画を予習に活用しており、毎回授業前に昨年度の動画をチェックしている。
- ある学生から「試験でノート持ち込み可と言っていなかったか」と質問された。
- 第1回授業の録画を確認した結果、ノート持ち込みについては触れていないことが判明。
- 授業録画が記録の確認に役立ち、誤解を防ぐことができた。
今度はGoogleの Gemini Advanced に「以下の文章をもとに1000文字程度のエッセイを作成してください。」と御願いして上の要約をインプットして得られた文章なのです。(最初は「エッセイ」ではなく「ブログ記事」としたのですが、それだと何故かエラーになっていまいました。)
さて、出来上がった文章ですが……。なんか格調高くて自分の文章じゃないみたい。(いや、自分の文章じゃないし。)なるほど、このやり方で「文体ロンダリング」ができる様な気がしますね。
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