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「人口論」と「成長の限界」(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 昨日の記事ではマルサスの「人口論」について紹介しました。「人口増加は幾何級数的」であるから、食糧生産の限界によって必然的に飢餓をもたらす、という内容は、実は1972年出版の「成長の限界」とよく似た部分があると思います。と言うか「人口論」は「成長の限界」よりずっと以前に書かれているので「成長の限界」が「人口論」を前提としているのですね。

 両者に共通するのは「幾何級数的」あるいは同じ事ですが「指数関数的」な成長の特徴、というか恐ろしさでしょう。「人口論」では人口が単体で議論されますが、「成長の限界」では人口に工業生産を含めた文明の規模が対象となっています。いずれも「幾何級数的」「指数関数的」に成長する特性を持っていて、早晩限界に到達する。野放図に成長がつづけば、それが限界に達したとき、悲劇的な形、具体的には多くの人の死、という形で成長が抑えられることになる。この議論はどちらの書物にも共通しています。

 では「成長の限界」はどこが新しかったのでしょうか?

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国連食糧計画(WFP)が作成したハンガーマップ・ライブではリアルタイムで世界90カ国以上の食料不安の状況をモニターしているそうです。世界では約8億人の人々が飢餓に苦しんでいます。

 「成長の限界」で取り扱われているのは、世界の人口であり、世界の工業生産です。一方、「人口論」ではせいぜい一つの国レベルでの議論でした。「成長の限界」が「予想」したのは「人類の危機」であるのに対し、「人口論」が「説明」したのはあちこちで飢饉が起こる理由なのです。「成長の限界」が世界的な飢餓の到来を予測したのに対して「人口論」は飢餓の撲滅は不可能だ、と述べているに過ぎません。

 「成長の限界」が想定しているのは一つにまとまった世界です。グローバリズムが究極まで発展した世界。全ての人が平等な世界です。だからこそ、世界で資源が不足したら皆が等しく貧しくなる、という結論になっています。その一方で「人口論」の世界では各国は独立、あるいは孤立していて基本的には地産地消が実現している世界なのです。どこかの国で飢饉が起こってもその影響は広がることはない。いつもどこかで飢饉が起こっていてもそれが人類の危機とはならないのですね。

 さて、現実の世界は「成長の限界」と「人口論」のどちらに近いのでしょうか。上のWFPのハンガーマップ・ライブをみると、こと食糧に関しては「人口論」の世界が現実に近いのでしょう。深刻な飢餓に見舞われている国がある一方、飢餓とは無縁の国もあるわけですから。

 とは言え「成長の限界」の想定しているグローバル化された世界に近い事象もあります。温暖化問題などはその典型で、二酸化炭素など主要な温室効果ガスの濃度は地球全体でほぼ一定、すべての人類が直面する問題となっています。

 

江頭 靖幸

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