「パンデミックで人類滅亡」はあり得るか その3 (江頭教授)
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前回の記事では
致死性が高い病原体は感染力が低く、感染力の高い病原体は致死性が低い。
と述べましたが、その理屈づけはともかく「それって正常性バイアスじゃないの」と言われると少し弱い。そもそもコロナ禍でいろいろな予想がひっくり返ったことを思い出すと「致死性が高く感染力も高い」という病原体の出現についても考えておくべきでしょう。ということで、タイトルに戻って、「パンデミックで人類滅亡」はあり得るか、が今回のお題です。
致死性も感染力も高いウイルスが出現した場合、もっとも強い対応として考えられるのは中国のゼロコロナ政策でしょう。日本を始め多くの国にはまねのできない対応ですが、それでも仮にこのレベルの対策が全世界でとれられると考えてみます。ゼロコロナ政策の実施による負影響も当然予想され、発展途上国においては人の生き死にに関わる弊害も予想されます。いえ、経済的な影響などを考えれば先進国もその影響を受けると考えるべきでしょう。致死性の高い伝染病であることを踏まえればそのような対策も正当化されるかも知れません。
しかしながら、中国のゼロコロナ政策によっても結局COVID-19を消滅させることはできませんでした。それどころかより感染性の高い株が出現するにつれゼロコロナ政策によってすらコロナの発生を止めることができなかったのです。(実際には致死性が激減したことによりコロナとの共存が可能になったという側面も大きいでしょうが。)
ゼロコロナ政策のような強い防疫でも伝染を抑えることができず、それでいて致死性の高い病原体が出現した場合、一番恐ろしいのは(自分が病気に罹ることは除いて)社会システムの維持ができなくなることではないでしょうか。
ゼロコロナ政策のような強い規制を続けていてはいつか人々も我慢の限界に達することになるでしょう。一部で規制が無視され始めればその影響で伝染病が広がり規制そのものが無意味となります。一度崩れた規制はすぐに破綻に進むことが容易に想像されます。その後、多くの人が病気で死亡する(致死性が高いですからね)ことで社会インフラを始めとしたいろいろな組織が維持不能になれば文明が崩壊する、と言うレベルの危機すら現実的なものとなるのではないでしょうか。
このようなシチュエーションはSF映画などではおなじみのもの。その後、わずかに生き残った人々が……って、あれ?なんで生き残る人が居るんだろう。
まあ、SF映画であれば生き残りがいないと映画が終わってしまいますからしょうがない。とはえい、文明崩壊レベルのパンデミックが起こったとしても本当に全ての人が、最後の一人まで死んでしまうというのはどうにも考え難い話ではあります。
人間を始め、いろいろな生物には多様性があります。どんな病気に対してもそれに耐性をもった人間は必ずいるはずです。ということはこのブログのタイトルに対する答えはNOでしょう。
先ほど文明崩壊もありうると書きました。でも、タイトルをよく見てください。「人類滅亡」って有りますよね。少しでも生き残る人たちがいればそこから再び人類は立ち直るのではないでしょうか。「文明崩壊」と「人類滅亡」、どちらも大変なことではありますが、両者には大きな差があるのもまた事実だと思います。