江戸時代の食料自給率は100%ですが……番外編(江頭教授)
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今まで三回にわたって(第1回、第2回、第3回)江戸時代の農業と今の日本の農業との比較を示してきたのですが、今何かと話題の米(というか稲作ですね)について少し触れましょう。
以下は e-Stat(政府統計の総合窓口)にある稲の作付面積についてのデータです。サイトの機能を使ってグラフ化したのですが、横軸が見えなくなってしまいました。データの始まりは何と明治12年。終わりは平成26年となっていてかなり長期のデータです。
グラフの特徴を挙げると
1) まず前半は右肩上がりだが真ん中辺りで伸び悩み、急落して底を打つ
2)その直後から反発し伸び悩み以前の水準を超えてピークに
3) しかし後半では再度の急落を示した後、数回の反動はあるものの全体として急激な右肩下がりの傾向
といったところでしょうか。
1)の「真ん中当たりの急落」は先の大戦の影響でしょう。一番減少しているのは終戦の翌年の昭和21年です。
作付面積の減少が戦争によるものだ、というのですから終戦ととも反発するのは道理ですよね。上記 2)に示したように最高値を330万haを達成。これが昭和35年のことだそうです。前回の日本の農作物全体の作付面積のデータ(昭和35年で813万ha)と照らし合わせると約4割が稲作用だったことがわかります。「田んぼ」と「畑」を比べると「畑」の方が多いのですね。
さて、米について特徴的なのは 3)の「再度の急落」でしょう。これは昭和44年から45年にかけての出来事。いわゆる「減反政策」がスタートした影響が現れているのです。
ちなみに私は1962年(昭和37年)の生まれなので、この減反政策が始まったころにはまだ子供でした。「減反政策が始まった」というニュースの記憶は無いのですが、とは言えその是非について多くの議論がされていたことは記憶に残っています。
戦後、米を始めとした食糧不足の状況から高度経済成長に入った日本の社会には急激な変化が起こります。米中心の和食からパン食を中心とした洋食の割合が増えてゆくことで米不足から米あまりへと状況は変化しました。にもかかわらず、戦後の配給制に起源を持つ政府による米の一定価格でも買い取り制度の下で需要に応じた価格調整ができなかったことから、買い取り価格が市場価格よりも高くなる「逆ざや」が発生して大きな問題として議論されていたことを、私はうっすらと覚えています。
「逆ざや」で赤字を垂れ流すよりはマシだ、ということは頭では理解できますが、米を作ることではなく、作らないことを奨励するという「減反政策」にどうしようもない不自然さを感じたものです。
さて、いままでの記事で江戸時代の農業に比べて現代の農業は遙かに高い効率(人材面でも土地の面でも)を達成したことを見てきました。しかし、今現在の米の価格の高騰、という問題については、技術は、あるいは工学には何ができるのでしょうか?
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