「電子計算機」じゃなくて「電子頭脳」でした(江頭教授)
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今回の記事は昨日の記事の訂正です。タイトルの
コンピューターについて知った時のお話し(いや!電子計算機だよ)
もそうですが、特に本文中の
最初にコンピューターという技術が世間に広がったとき、それは「電子計算機」と呼ばれていたと思います。「電子計算機」についてはテレビ漫画や海外のSFドラマなどで知っていた様な。当時の電子計算機はなにかと人間に反乱を起こしがちでしたね。
という文章、前半のコンピューターが電子計算機と呼ばれていた、という点はその通りですが、後半の漫画やSFドラマ云々の部分はちょっと違います。この文脈なら「電子計算機」ではなくて「電子頭脳」とするべきでした。
「電子計算機」という用語は古くさいイメージがあるとはいえ、今でも使われる言葉だと思います。例えば「電子計算機使用詐欺罪」など法律用語として現役の言葉です。それに対して「電子頭脳」は、まあ、死語のようなものでは。
電子頭脳?ああっ、電脳のことですか。
くらいの扱いでしょうか。
そもそも「計算機」を「頭脳」と言ってしまうのはどうなんだ?
いまの我々は、たとえコンピューターには人間が遠く及ばない優れた計算能力があるといっても、それだけで知能があるとか優秀な頭脳であるなどと思うことはないでしょう。ですから「計算機」はどんなに性能が高くてもただの機械であって「頭脳」とは違うと感じます。ですが、いまから半世紀ほど前はどうだったのでしょうか。
当時の一般人はコンピューターに触れることはできなかったのですから「人間が遠く及ばない優れた計算能力がある」機械というものを多くの人は目にしたことが無かったのです。「計算」というものは人間には可能だが機械にはできない事、つまり人間の頭脳特有の能力だと思われていたのでしょう。つまり計算能力というものの見え方が今とは違っていた。だから当時は「電子計算機」と「電子頭脳」が同じ様に用いられていたのだと思います。
もう一歩進んで考えると私達は人間にできて機械にできない事を「頭脳」の能力だとみなしているのかも知れません。そしてなにが機械にできるか(いや、何が機械にできないか、かも)は時代によって変化するのです。だとすると人工知能、つまりAIが広く実用化された後、私達はAIにできない事こそが「頭脳」の役割、知的な仕事なのだ、と考えているかも知れませんね。
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