原爆と水爆、どちらが「脅威」か(江頭教授)
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先日の「1950年代にサステイナブル工学があったとしたら」という記事をきっかけとして、1954年の映画「ゴジラ」について二つの記事を書きました。1950年代の人たちが核兵器に対してどのようなイメージを持っていたのか。その全体像を、とは言いませんが、その一辺が「ゴジラ」に反映されていると考えたからです。
結果は「思っていた通りではなかったが、思っていた通りではなかったからこそ、核の脅威について新しい見方ができる様になった」というところでしょうか。今回はその辺を書いてゆきたいと思います。
まず「ゴジラ」で描かれた核が、じつは原爆ではなくて水爆だった、ということ。これが私には意外でした。確かに、広島、長崎の被害をみれば原爆の脅威は圧倒的に感じられます。原爆よりも遙かに大きな破壊力をもつ水爆ですが、その威力を示す水爆実験の映像は多々あるものの、その被害を実感させる映像は実は少ないことに気が付きます。私はこのために無意識のうちに水爆の脅威を小さく見積もっていたようです。客観的にみれば原爆より恐ろしい水爆が核の脅威の象徴として「ゴジラ」で描かれたのは当然のことなのかも知れません。
もう一つ。原爆に続いて水爆が登場した、その状況にも大きな意味があると思います。
先の「1950年代にサステイナブル工学があったとしたら」という記事で書いた内容を引用すると
広島・長崎に世界初の原爆が投下されたのが1945年、1949年には早くもソ連(いまのロシア)による原爆実験が行われたといいます。アメリカは1952年に水爆実験を成功させ、ソ連も1953年にそれに続きます。あっという間に世界は核兵器に溢れてしまいました。人類の歴史で、おそらくはじめて人類は自らを完全に滅ぼすことが可能な技術を手に入れたのでした。
ということ。原爆の段階ですでに充分に脅威だったものが、10年にも満たないうちに桁違いの破壊力を持つものに成長し、しかも東西両陣営に拡散。文字通り人類が滅亡する可能性すらある世界戦争が何時始まるか分からない、そんな緊張状態が生じたのです。
映画「ゴジラ」では、現実の原爆から水爆へのエスカレーションの先にある超兵器が描かれています。つまり「ゴジラ」を見ていた人々、そして制作陣が感じた核の脅威は「急激に発達し、ついに人類を滅ぼし得る破壊力を実現する科学技術」という側面が強かった。そして超兵器の描写はその暴走がこれからも続く、という真の恐怖に見えていたのでしょう。
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