映画「ゴジラ」(江頭教授)
| 固定リンク 投稿者: tut_staff
先日「1950年代にサステイナブル工学があったとしたら」という記事を書いて、1950年代に「サステイナブル」という概念が存在していたとしたら、サステイナブルな社会に対する最大の脅威は核の脅威である、と考えられていただろう、ということを書きました。
では、当時の人々は核の脅威についてどのように考えていたのだろうか。そう考えて思い出したのがこの「ゴジラ」という映画です。1954年11月の公開。当時私はまだ生まれていませんでしたから、もちろん映画館での上映を見た記憶はありません。こどものころTV放送されたものを見たことはありますし、DVDで見直した記憶もありますが、それもずいぶん前のことだと思います。
ということで「核の脅威」を念頭に久々に映画「ゴジラ」を、今度はBlu-rayで鑑賞したので、今回はその感想を述べましょう。
この映画、虚心坦懐に見ると「核の脅威」を示す映像的な仕掛けがあまり出てこないことに少々驚いた、というか拍子抜けしてしまいました。作品内では「ゴジラ」は「太古の恐竜の生き残り」であり、海底の深い場所に潜んでいたが、水爆実験によってその場所を追われて日本の近海に、そして日本本土へと移動してきた、と説明されているのです。つまり、ゴジラはあの姿で海の底にずっと暮らしていた、ということですよね。
その後のゴジラシリーズの内容を知っている身からすると、これは少々驚きです。いや、私はゴジラは放射能の影響であの姿になったのだ、と思い込んでいました。それどころかゴジラのエネルギー源(食料?)は放射性物質だと思い込んでいたのです。でも、最初の映画の段階ではゴジラは「深海に潜む大自然の驚異」の一つであり「水爆実験」という人間の愚行がそれを解き放ってしまった、という位置づけなのです。
つまり、この映画が示す「核の脅威」とは実質的には「水爆実験の危険性」のことなのですね。これがよく現れているのが映画の冒頭のシーンです。
この映画では「ゴジラ」による被害は一連の海難事故として描写されています。中でも貨物船が犠牲になる最初の被害のシーン。
夕方の海、船上でくつろいでる船員達はまぶしい光を目撃する。その直後、船は激しい波と風の影響で沈没することに。
これは、明らかに水爆実験に巻き込まれた船舶とその乗組員の描写のように見えました。私は最初、このシーンがゴジラを目覚めさせた水爆実験の描写なのかと思ったのですが、その後の展開でゴジラによる破壊であることが分かります。
つまり、この映画ではゴジラによる被害と水爆実験に巻き込まれる恐怖とが(おそらく意図的に)地続きに描かれているのです。
では、この映画が「核の脅威」について何も触れていないか、といえばそんなことはありません。本作には怪獣映画には珍しく、シリアスなメインストーリーが存在します。その中で描かれた超エネルギー兵器「オキシジェン・デストロイヤー」と、その開発者である芹沢博士の物語こそが抽象的に「核の脅威」を訴えているのです。その詳細については、また別の記事で説明することとしましょう。
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