デフレ経済下の日本(江頭教授)
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今回の記事は前回の続きです。最近の物価高を切っ掛けに、昔日本が物価の上昇、つまりインフレを経験していた時代に働いていた私の父の話をしたのですが、その後の父の話をもう少し続けたいと思ったのです。
昭和5年(1930年)生まれの父は1973年以降の狂乱物価の直前に家を建て、住宅ローンはインフレの影響で返済はかなり楽になったはずです。そして60歳の定年を迎えてリタイアしたのは1990年ころ。このころはバブル景気の真っ最中でしたが、すぐにバブルは崩壊。その後日本では2022年まで物価が上昇しない、下手をすると下落するデフレ経済に陥るような状態が続いたのでした。
さて、1991~93年のバブル崩壊以降のデフレ経済の中で、父はどのような暮らしをすることになったのでしょうか。
父はいわゆる年金生活者となったわけですが、幸いなことに手厚い企業年金を受け取っていて生活にはかなり余裕があったようです。父から聞いて印象に残っている話があるのですが、父と同じころに退職した同僚に企業年金の代わりに一時金を受け取った人がいたとか。
年率5%以上で資産運用をするなんて簡単なのだから一時金で受け取って自分で運用した方が良い
というのがその理由(父の勤務先は金融機関だったのでみんな金融リテラシーが高かったのでしょう)。しかしデフレ経済への移行によって資産運用で利益を得ることは難しくなりました。その一方で父は年金をもらい続けていたのです。詳しい内情は分かりませんが、父の年金は勤務先だった企業が父の代わりに運用に苦労して、というかおそらく年金の原資を補填して維持されていたのではないかと思います。言いにくい話ですが、その企業で働いている現役世代の人たちが私の代わりに父に仕送りをしてくれていた、ということでしょうか。
さて、1990年にリタイアした父は母ともども世界各地に旅行に行ったようです。
母が子供の頃に興味をもったピラミッドを実際に見てきた話。父が子供の頃には身近に感じられていたが、終戦と同時に訪れることはできないと諦めていた中国本土に旅行することができて、万里の長城を実際に見てきた話。旅行先で出会った人の勧めで北極圏にオーロラを見に行った話など。自宅に帰省するたびにそんな話を聞かされていたものです。
それが1990年代から2000年ころまでのことでした。しかし、両親が旅行に行ったトルコで帰国直後に大きなテロ事件が起こったのがたしか2001年始めのこと。その後、2001年9月には有名な「9.11テロ事件」が起こりました。以降、両親は国内旅行には行くものの海外に旅行に行くことはなくなりました。
考えてみると1990年から2000年までの間、世界が一つになりつつあり、同時に平和でもあったという歴史的にもまれな一瞬だったように思います。
さて、話はそれてしまいましたが、1990年から2022年までのデフレ経済下の日本について。一般的には「不調な経済に苦しんだ時代」と認識されるかも知れません。しかし、そんな状況下でも生まれたタイミングとちょっとした経済的な判断によって「子供の頃の夢を叶える」老後を送ることができた人もいた、ということです。
繰り返しになりますが、もしこのブログを読んでいるあなたが高校生や大学生なら、そして今の物価高がデフレ経済の終了を意味しているなら、生まれたタイミングという意味では実にラッキーな世代なのかもしれませんよ。
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