書評

映画「不都合な真実2」の「TRUTH」と科学(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 映画「不都合な真実2」(原題:An Inconvenient Sequel: Truth to Power)について述べてきた記事(その1その2その3)ですが、そもそもの発端は第1作である「不都合な真実」(原題:An Inconvenient Truth)についての記事でした。私はこの第1作については良い印象をもっていたのです(いや、グラフの縦軸の原点とりかたについては一言有りますが)。しかし、その続編については正直なところ評価できないと考えています。

 シリーズ第1作である「不都合な真実」は2006年公開の映画です。気候変動問題はすでに多くの人の知られていました。(京都議定書の採択が1997年、IPCCの設立は1988年ですからね。)しかし、一般の人々に広く知れ渡っている、という状況にはまだ遠かった。そんな状況で元アメリカ副大統領という有名人が丁寧に気候変動問題について解説した映画(そして書籍)を公開したことの意義はそれなりに大きかったのでしょう。そして、ここで語られた「TRUTH」とは

「人間が化石資源を利用して二酸化炭素を大気中に排出したことにより地球の気候に変化が起きている」

ということ。これは気候変動問題に関心をもつ多くの人が素直に同意できる内容だと思います。

 それに対し、続編である「不都合な真実2」が公開された2017年には気候変動問題についての情報は一般大衆にも広く行き渡っていました。それにも関わらず気候変動対策は、少なくともゴア氏やかれの周りの人々にとっては、思う様に進んでいなかったのです。

 映画の中で発展途上国の立場を代表するインドのモディ首相は

これからもインドには従来のエネルギーが必要です。化石燃料です。

と言い切ります。これは「人間が化石資源を利用して二酸化炭素を大気中に排出したことにより地球の気候に変化が起きている」という「TRUTH」を理解してなお、自国の貧しい人々の生活向上を優先しての決断だったのでしょう。

 しかし映画のなかではこの言動はモディ首相が「TRUTH」を理解していないから、かの様に描かれていました。この続編では「TRUTH」は「今すぐ化石資源の利用を中止しないと地球の環境は徹底的に破壊され、早晩全ての人類が死に絶えるのだ」くらいの強力な「POWER」を持った言葉に置き換えられてしまったのです。

それってあなたの感想ですよね?

いや、モディ首相はそんな言い方はしませんけどね。

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映画「不都合な真実2」に追加のコメント(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 昨日の記事で紹介した映画「不都合な真実2」について、今回はもう少しコメントしたいと思います。実は昨日の記事、この「不都合な真実2」が公開された年(2017年です)に劇場公開された時に書いた記事を再録したものです。それから約10年(正確には8年半)の年月が過ぎたのですが、今回のコメントはこの映画を見直してみての感想、ということになります。なお、今回は Amazon Prime での配信版を日本語吹き替えで鑑賞しました。( Amazon Prime のメニューでの表記は「字幕版」とされていましたが、複数言語の吹き替えが選択できました。)

 さて、約10年ぶりの再鑑賞で一番印象に残っているのは

プーチンも昔はパリに来られたんだ

ということ。この映画のクライマックスは2015年末のCOP21でのパリ協定の採択のシーンでした。各国首脳がパリに集まり、そのなかにプーチン大統領もいた、ということです。このCOP21のシーンは今見ると壮観です。ドイツの元首相(当時は首相ですね)のメルケル氏、カナダのトルドー元首相、それに日本の故安倍晋三元首相もちらりと映っています。さらには習近平中国国家主席。そしてロシアのプーチン大統領も参加していました。

 今や一堂に会することは不可能な豪華な面々です。(ほとんどの首脳はすでに現役を離れていますが、いまもその職に留まっている人も。お国柄が現れている、とでも言いましょうか。)パリ協定に賛成するこれらの首脳達を、この映画では、まあ好意的に描いていますが、その中で明らかに批判的に描かれているのがインドのモディ首相でした。彼は以下の様に演説します

民主主義のインドは急速に成長せねばなりません。インドの全国民12億5千万人のために。そのうち3億人は未だに電力を使う事ができません。電力は生活に欠かせないものです。ですから一方の意見を押しつけることはあってはならないのです。他の国の経済を邪魔することは避けるべきです。これからもインドには従来のエネルギーが必要です。化石燃料です。それ以外を使う方が道徳的に間違っているのです。

映画の中でこの演説をきちんと示したことは、この映画のスタッフが公正な態度を守った証明であり評価に値することだと思います。とはいえ、この発言を聞いてなお、映画のラストで「TRUTH TO POWER」と歌い上げるというのはどういう神経をしているのでしょうか?えっと、人の話聞いてます?

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映画「ゴジラ」の描く核の脅威(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 先日このブログ(こちらの記事)で話題にした映画「ゴジラ」。これは1954年公開の第一作です。そもそも「1950年代にサステイナブル工学があったとしたら」という記事で、1950年代に多くの人々が感じていたであろう核の脅威について考えたのですが、その反映として当時ヒットした映画である第一作ゴジラを思い出した、という次第で取り上げました

 先日の記事で書いたとおり、この映画で描かれる「核の脅威」は、今の私がその言葉から連想する広島や長崎の原爆による被害とは少しずれている感じ。どちらかというと、映画公開の1954年11月当時に話題になっていたであろう同年3月の第五福竜丸事件とその原因になった水爆実験の方が意識されていたのではないかと思いました。

 終戦から9年。当時の日本人にとって広島・長崎の原爆の記憶はすでに過去のものであり、映画公開の半年ほど前に起こった第五福竜丸事件の方がホットな話題だったのでしょうか。あるいは当時の人々にとって原爆の記憶はまだ癒えていない心の生傷であり、映画にすることはできなかったのでしょうか。今の私には知るすべのないことです。

 さて、前の記事でも触れましたが、この映画では核の脅威が別の形でも表現されていると私は思っています。それは、ゴジラを倒す超エネルギー兵器「オキシジェン・デストロイヤー」の開発者である芹沢博士の物語です。

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映画「ゴジラ」(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 先日「1950年代にサステイナブル工学があったとしたら」という記事を書いて、1950年代に「サステイナブル」という概念が存在していたとしたら、サステイナブルな社会に対する最大の脅威は核の脅威である、と考えられていただろう、ということを書きました。

 では、当時の人々は核の脅威についてどのように考えていたのだろうか。そう考えて思い出したのがこの「ゴジラ」という映画です。1954年11月の公開。当時私はまだ生まれていませんでしたから、もちろん映画館での上映を見た記憶はありません。こどものころTV放送されたものを見たことはありますし、DVDで見直した記憶もありますが、それもずいぶん前のことだと思います。

 ということで「核の脅威」を念頭に久々に映画「ゴジラ」を、今度はBlu-rayで鑑賞したので、今回はその感想を述べましょう。

 この映画、虚心坦懐に見ると「核の脅威」を示す映像的な仕掛けがあまり出てこないことに少々驚いた、というか拍子抜けしてしまいました。作品内では「ゴジラ」は「太古の恐竜の生き残り」であり、海底の深い場所に潜んでいたが、水爆実験によってその場所を追われて日本の近海に、そして日本本土へと移動してきた、と説明されているのです。つまり、ゴジラはあの姿で海の底にずっと暮らしていた、ということですよね。

 その後のゴジラシリーズの内容を知っている身からすると、これは少々驚きです。いや、私はゴジラは放射能の影響であの姿になったのだ、と思い込んでいました。それどころかゴジラのエネルギー源(食料?)は放射性物質だと思い込んでいたのです。でも、最初の映画の段階ではゴジラは「深海に潜む大自然の驚異」の一つであり「水爆実験」という人間の愚行がそれを解き放ってしまった、という位置づけなのです。

 つまり、この映画が示す「核の脅威」とは実質的には「水爆実験の危険性」のことなのですね。これがよく現れているのが映画の冒頭のシーンです。

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映画「妖星ゴラス」(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 このブログをお読みの皆さんは「午前10時の映画祭」という映画館で行われている催しのことを聞いたことがあるでしょうか。もし皆さんが高校生なら「午前10時」に映画館に行く、というのは土日以外は無理ですね。でも、リタイアした人にとっては都合の良い時間帯。おそらく映画館がそれを当て込んで「リタイアした人たちが若かりし頃に観たであろう映画」の再上映を行ってくれているのです。

 私自身はまだリタイアできていないのですが、年齢的にはリタイアしてもおかしくない年齢になりました。そんなわけで「午前10時の映画祭」の中にも気になる映画がチラホラ。その一つが今回2025年の1月3日からリバイバル公開されることに。

 「妖星ゴラス」それが映画のタイトルです。

というわけで、以前に書いた「妖星ゴラス」の記事を以下に再録することとしました。以下の記事を読んで気になった方は是非映画館へ!

(以降は2020年7月27日の記事の再録となります)

 以前このブログにて紹介した映画「地球最後の日」では地球が太陽系に侵入してきた遊星と衝突して破壊される、というまさに天文学的な確率の事象を想定したSF映画、いや、空想科学映画でした。地球を脱出するロケットを建造した人々は若者たちをそのロケットに乗せて地球が破壊された後に、ちょうど地球と同じ軌道に残ることが予測されている遊星の伴星へと移住させる、というストーリー。その時、この映画のポイントは

この映画で中心的に描かれているのは宇宙船の建造には数百人のスタッフが必要だが、その宇宙船の乗れるのは数十名のみ、という状況です。

と書きました。

 その「地球最後の日」から11年後の1962年に作成された本作「妖星ゴラス」も、同様の状況を扱った日本映画です。

 「ゴジラ」をはじめとする特撮映画で有名な円谷英二氏が制作かかわった作品だけあって、特撮映像の大盤振る舞い。「地球最後の日」に比べると、これでもかとばかりに驚きの映像が次々と出てきます。もちろん、現在の目から見ると、というかおそらくは当時から見ても、見るからにミニチュアワークの映像であり、リアリティがあるとはとても言えません。しかし、少なくとも私にとっては、その映像のタッチに懐かしさを感じるとともに、それだけのミニチュアが作られたという圧倒的な作業量に対する感銘が合わさって、ワクワク、ドキドキの映像の連続でした。

 さて、天文学的な事象によって地球が破壊される、という危機に際して「地球最後の日」で描かれた上記のジレンマに対して「妖星ゴラス」ではあっと驚く解決策が示されています。(「続きをよむ」以降にはネタバレを含みます。)

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映画「子鹿物語」(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

「本学のメディア学部で教鞭を執ってもらっていた金子先生はアニメーションにCGを導入するという当時では最先端の仕事をしておられた方で、フジテレビの『子鹿物語』などの作成にかかわっておられたんですよ。」

「理事長、アニメの『子鹿物語』はフジテレビじゃなくてNHKですよ。」

なんて会話があって、ふと「子鹿物語」のことを思い出しました。件のアニメ版は今では視聴が難しいそうなので、1946年の映画(私は何となく「グレゴリー・ペック版」と記憶していました)を久々に見てみた、という次第です。今回はアマゾンの Prime Video での鑑賞。本当に40~50年振りです。

 さて、「子鹿物語」というぐらいですから、もちろん子鹿が出てきます。そして写真を見て分かる様に少年(ジョディという名前です)がその子鹿をペットにする話なんですね。ところが、肝心の子鹿が登場するのは物語の後半に入ってから。オープニングでも述べられていますが、この物語はアメリカの開拓民の生活と、その厳しい環境の中で成長してゆくジョディの姿を描いた作品なのです。

 物語のスタートはジョディの父親の回想から。開拓地に入植した経緯が語られるのですが「南北戦争が終わって」からの入植という説明から、それ以前にいろいろな事があったのだろうと想像させます。そして開拓地の町で出会った女性と結婚し、今は11歳になる息子、一人っ子のジョディを育てているのです。

 この「一人っ子」という設定、いまでこそ何の違和感も無く受け入れられるのですが、おそらく当時の感覚からすれば子供の人数が少なすぎると感じられたでしょう。物語の開始すぐに、実はこの夫婦がもっと多くの子供を授かりながらも、どの子供も赤ん坊のうちに亡くなったのだ、という背景が明らかになります。

 そんな事情もあるのでしょう。いつも不機嫌にしている母親に対して、ジョディは「ペットを飼いたい」という希望をなかなか伝えられずにいます。そんな時、蛇に噛まれた父親が毒を吸い出すために射って殺した鹿が、たまたま子鹿をつれていたことから、「父の命の恩人」である鹿の子供を飼うことをみとめてもらうことができたのです。

(後半には「子鹿物語」の結末についてのネタバレがあります。)

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書評 マルサス 「人口論」 (光文社古典新訳文庫)(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 「人口論」は18世紀の英国の経済学者、トマス・ロバート・マルサスによる古典的な書物です。原著は1798年に英語で書かれた書物ですが、日本語にも翻訳されており、吉田秀夫氏による1948年の翻訳版は青空文庫で無料で読むことができます。今回紹介するのは2011年に光文社から斉藤 悦則氏による翻訳で 「光文社古典新訳文庫」の一つとして出版されたもので、私はその電子書籍版を読みました。「新訳文庫」とタイトルにある通り、より現代的な訳文で読みやすくなっています。

 「人口論」の第一章で著者のマルサスは以下の二つを前提として議論を進めるとしています。

第一に、食糧は人間の生存にとって不可欠である。

第二に、男女間の性欲は必然であり、ほぼ現状のまま将来も存続する。

(「性欲」って...。1948年版の翻訳では「情欲」となっていてなかなかの品格なのですが、まあ、新訳の方が分かりやすいですね。)

 さて、この前提からマルサスは

人口は、何の抑制もなければ、等比級数的に増加する。

と結論します。それに対して

生活物資は等差級数的にしか増加しない。

といいます。前後の文脈から「生活物資」は食糧を意味しているとみなして良いでしょう。

 この二つの条件から人間の社会で飢餓が無くなることはない、全ての人が豊かに暮らせる理想的な社会が到来する(「人間と社会の完成」と表現されています)ことは不可能だ、と述べているのです。

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核戦争を描いた映画「ザ・デイ・アフター」(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

  持続可能な世界を目指すサステイナブル工学の背景にはこの文明がサステイナブルではない、つまり人類が滅亡するかも知れない、という概念があり、その一番リアルな恐怖は全面核戦争ではないか。ということで核戦争を描いた映画を紹介しています。

 今回紹介する「ザ・デイ・アフター」は1983年、アメリカの映画ですが、実はテレビ放送用の作品です。核戦争が実際に起こり核爆弾が投下されるとどうなるのか、を正面から描いた作品で、以前紹介した核戦争を描いた作品が踏み込まなかった「その日の後」に踏み込み、核戦争の悲惨さを力強く印象付けよう、という製作者の意思が感じられます。

 以前紹介した「博士の異常な愛情」では核戦争が起こることは世界の終末を意味している、したがって核戦争が脅威であることは自明である、という前提で映画が作られているように思われます。「世界大戦争」では東京を破壊して見せることで「核戦争がなぜいけないのか」を可視化していました。「渚にて」での核戦争の描写はやや変化球ですが個々人の問題としての死、家族や近しい人々の死、そして人類の死滅という、自身が生きた意味が完全に失われてしまう状況を描写し、その悲惨さこそが核の脅威の本質であると訴えています。

 それに対して本作では核戦争を生き延びた人々がみることになる現実を描写して核の脅威を示そうとしている点で大きく異なっているのです。

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映画「地球爆破作戦」(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 先日紹介した映画「博士の異常な愛情」は、米ソ両陣営がそれぞれ「国内のどこかに核攻撃をうければ自動的に報復攻撃を行う装置」を作動させたことで一発の核爆弾が全面核戦争の引き金となってしまう、というストーリーでした。

 今回紹介する「地球爆破作戦」の世界でも米ソが同様な装置を作るのですが、この装置に高度な人工知能が搭載されている、という設定がユニークな点です。この映画、実は核の脅威よりも人工知能の反乱の恐怖を描いた作品なのです。

 アメリカの自動報復装置に搭載された人工知能「コロッサス」は起動されるとすぐにもう一つの人工知能が存在するという結論に達します。その推論は当たっており、もう一つの人工知能はソ連の自動報復装置「ガーディアン」だったのです。コロッサスはガーディアンとの接続回線を開くことを大統領とコロッサスの設計者、フォービン博士に要求。ガーディアンも同じ要求をソ連の書記長に要求してきます。接続が確立された両人工知能は融合し一つの存在となり、全面核戦争を回避するために自らが人類を支配する、と宣言するのでした。

 自動報復装置の機能を利用して自在に核ミサイルを操ることができるコロッサスーガーディアンの支配を覆すことができるのか。フォービン博士はコロッサスに協力する振りをしながらレジスタンス活動を開始するのですが...。

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映画「地球は壊滅する」(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 いや、凄いタイトルですよね。これは1965年のアメリカ映画。つまり今から半世紀以上前の映画で、当時の感覚では「有り」のタイトルだったのではないでしょうか。ちなみに原題は「Crack in the World」で、こちらのタイトルの方が内容をちゃんと反映していると言えるでしょう。

 地球の地下深くからマグマを取り出し、その熱を利用することで実質的に無限のエネルギーを手に入れる。そんな計画が(おそらく)英国によってアフリカ大陸で実施されている。マグマを取り出すための長大な掘削孔が掘られているが、マグマに到達する直前に強固な岩盤の存在によって作業は滞っていた。その解決策として核ミサイルの利用が提案されたのだが……

というのがこの映画のスタート。核爆発によって岩盤を打ち破ることは出来るが、果たして影響はそれに留まるのか。すでに地下核実験の影響を受け続けてきた地殻の大崩壊への最後の一撃になるのではないか、と主張する若手科学者がこの物語の主人公です。

 もちろん「地球は壊滅する」というタイトルの通り、核ミサイルの使用は最悪の結果をもたらします。地殻に大きな亀裂(まさに原題の「Crack in the World」です)が生じ、アフリカ大陸からインド洋にかけて地球を一周する勢いで進んでゆくのです。このままでは地球は真っ二つになってしまう。どうやってこの亀裂を止めれば良いのだろうか。

 とまあ、なんとも規模の大きなお話になってゆくのですが、私が少し驚いたのはこの映画が「核の脅威」を扱った映画(かなりの変化球ですが)だったということです。

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