書評

書評 アーサー・C・クラーク著「渇きの海」(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 「渇きの海」は著名なSF作家、アーサー・C・クラーク氏の作品で観光用の遊覧船の遭難事故とその乗客達の救出劇を描いた小説です。とはいえそこはSFの巨匠が描く作品。実はこの遭難事故の舞台は月面。人類が月面に進出し、恒常的に人が滞在する基地が造られている近未来を舞台とした物語なのです。

 この作品、発表されたのは1961年とのことで、すでに62年前の作品です。当時はアポロ計画が発表されて月に対する興味・関心が高まっていた時期だと思われますが、逆に言えばまだ月着陸した宇宙船がない時代。ですから、本作の月は各種観測データからの推察に基づいてクラーク氏が慎重に想像し大胆に創造した世界だと言えるでしょう。

 その最たるものがタイトルにもなっている「渇きの海」。月には実は海があった、といった軽々しい夢物語ではありません。月の地表に堆積した微細な砂が窪地に集積し、あたかも水面のように平坦な表面を形成している場所が「渇きの海」と呼ばれているという設定です。微細で乾燥しきった砂はサラサラと流動するので砂より密度の高い物質を「渇きの海」に置くと沈んでしまいます。さらに、「船」の形をしたものを水面ならぬ砂面に浮かせることができる。スクリューを付けて推進させることすらできる、というのです。そこで造られたのが月の「遊覧船」。そして思わぬ突発的な事象によってこの「遊覧船」が月の砂の海に「沈没」してしまう。砂の中に閉じ込められた人々と彼らを救出しようと努力する人々とのドラマが始まります。

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久々に「朝まで生テレビ」を見た(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 「朝まで生テレビ」という番組は以下の図にもあるとおり1987年から続いている討論番組。もう35年も続いているということで、私も以前(もう10年以上まえだと思います)に見ていた記憶があります。このお正月、というか大晦日の深夜に放送していたのですが特に興味もなく見落としていました。ところがなんの都合だか分かりませんがレコーダーに録画が残っていたので一応、最初だけ再生してみました。

 あー、これ、この音楽だよ。昔から変わらないなあ。

 変わらないと言えば司会の田原総一朗氏。もう88歳だそうですが、未だに現役の司会者なのですね。

 そこで、まあ見なくても良いか、とも思ったのですが私の贔屓の小幡 績氏(慶應義塾大学大学院准教授)が参加しているというので、ながら視聴をすることにしました。

 この「朝まで生テレビ」は日本における討論番組の草分け的な存在。NHKの日曜討論よりもずっとライブ感があるというか、ホンネをぶつけあうようなスタイルが受けて結構人気があったと思います。私もきちんと追っかけていた時期があるのですが、いつの頃からか見ているとフラストレーションが溜まるようになって遠ざかっていたのです。

 さて、久々にこの番組を見ると、いや昔に比べて全然見やすくなっています。フラストレーション全くなし。「いつからこんな敬老番組になったんだろう。」

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書評 「未来の年表2 人口減少日本であなたに起きること 」(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

河合雅司

「未来の年表2 人口減少日本であなたに起きること」(講談社現代新書)

講談社(2018)

この本は以前推薦図書として紹介した「未来の年表 人口減少日本でこれから起きること」の続編です。「人口減少日本でこれから起きること」が2017年刊でしたから、それから1年後にサブタイトルを「人口減少日本であなたに起きること」として書かれたパート2という訳ですね。

 実はこの河合雅司の「未来の年表」は次々に続刊が出ていて、今回私がこのパート2を読もうと思ったのもパート5に当たる「未来の年表 業界大変化 瀬戸際の日本で起きること」の宣伝を兼ねた記事をあちこちで見る機会があったからです。いきなりパート5から読んでも良かったのですが、やっぱり順番通りに、と思い直してこちらの電子書籍版を入手しました。

 著者の河合氏は本書の冒頭で好評を博した前著について触れながら「自分の日常生活で何が起こるのかを教えて欲しい」というリクエストが多かったと述べ、本書の目標をこのリクエストに応えることだと述べています。つまり日本全体でのデータに基づいて、サブタイトルにもあるとおり「あなたに起きること」について考察しよう、というわけですね。

 目次から内容を拾ってみるとこんな感じです

「伴侶に先立たれると、自宅が凶器と化す」

「亡くなる人が増えると、スズメバチに襲われる」

「食卓から野菜が消え、健康を損なう」

「80代が待ちを闊歩し、窓口・売り場は大混乱する」

「若者が減ると、民主主義が崩壊する」

うーん。わざと奇をてらった書き方をして興味を引き立てようとする意図はわかるのですが…。

例えば「若者が減ると、民主主義が崩壊する」について。シルバー民主主義とかそんな話しかと思ったら選挙の投票場の運営が大変だ、というお話。いや、それ自体は大きな問題だと思いますが「民主主義が崩壊する」というのはいささか大袈裟なのではないでしょうか。

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「成長の限界」再読 その4【最終回】 (江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 第1回第2回第3回と続けてきた、「持続可能な(サステイナブルな)発展」の起源の一つである「成長の限界」についての解説ですが、今回をもって一応の区切りとしたいと思います。今回の課題は持続可能な、そして、成長しない世界とはどのような世界なのかです。

 本書で成長しない世界についての考察が述べられているのは「第Ⅴ章 均衡状態の世界」です。この章の前半はコンピュータシミュレーションでどのような仮定をおけば人口の急減と工業力の崩壊を避けることができるのか、が探られています。その結果は「省資源技術の導入」「サービス中心の経済への移行」「汚染の防除」「食料の平等な分配」「農地の土壌劣化への対策」「工業製品の寿命の延長」に向けた努力が行われる、という前提で、さらに人口増加の抑制が行われるとした場合、はじめて「人口の急減」を避け、全ての人が豊かな生活を送れる世界が実現する、というものでした。人口増加、すなわち人口の成長の抑制の方法には、出生率を死亡率に強制的に一致させる方法と、一家族の子供の数を2人に制限するより緩やかな方法が検討されています。最終的な豊かさには差がありますが、どちらのシミュレーション結果も少なくとも1世紀は持続可能な世界を示しています。

 持続可能な世界を実現するための条件は以下の様にまとめられます。人口が一定に保たれること、死亡率を低くしたければ出生率も低く抑えること。そして、資本設備(建物や工場などのこと)の総量も一定で、投資と損耗が釣り合っていることが必要です。一方、人口と資本設備の総量の比率、つまり豊かさは成長の有無にかかわらずどんな水準でも安定させることができる、従って人々の価値観によって決めることができる、というのです。つまり、豊かさと成長を結びつけて考える必然性はないのです。

 このシミュレーションの結果を受けて、成長しない世界についての考察が述べられています。強調されているのは成長しないのは人口と資本設備の総量だけだ、ということです。ある地域の人口が増えて他の地域の人口が減ることもあり得ます。ある産業が成長し、ほかの産業が衰退することもあるでしょう。全体が成長しなくても部分は成長することが可能なのです。ただし、ある部分が伸びれば別の部分を削る必要があるので、全ての部分がみな成長する、ということはありません。どの部分を伸ばし、どの部分を削るのか、成長しない世界では常にその判断が下されなければなりません。あれもこれも、と成長を追い求めるのではなく、自分たちが何を欲しているのか、どうなりたいのかを常に問われるのが成長しない世界だ、とも言えるでしょう。

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 また、人口と資本設備以外の分野、たとえば、教育、芸術、音楽、宗教、基礎科学研究、運動競技、社会的交流等の成長は「人類の危機」とは無関係です。これらの活動はその社会に暮らす人々の生活を変化させつづけて行くに違いありません。成長しない世界は変化しない世界ではありません。よりよい方向に発展しつづける世界なのです。求めるべきは成長する世界ではなく、発展する世界である。「持続的な(サステイナブルな)発展」という言葉の背景にはこのような考えがあるのです。

 発展する人間活動の中には、もちろん技術も含まれます。本書には成長しない世界で歓迎される実際的な発見の例が挙げられています。

  • 廃棄物の回収、汚染の防除、不用物を再利用するための新しい方法。
  • 資源の枯渇の速度を減らすためのより効率のよい再循環技術。
  • 資本の減耗率を最小にするため、製品の寿命を増加し、修復を容易にするようなよりすぐれた設計。
  • 最も汚染の少ない動力源である太陽エネルギーを利用すること。
  • 生態学的相互関係をより完全に理解した上で、害虫を自然的な方法で駆除する方法。
  • 死亡率を減少させるような医療の進歩。
  • 減少する死亡率に出生率を等しくすることをたすける避妊法の進歩。

 現在の感覚からすればここにリストアップされた発見を目指した研究の重要性は明かです。しかし、本書が出版されたのが1972年、オイルショック直前で先進国ではものがあふれていると感じられた時代だったという事を見落としてはなりません。当時の感覚では海のものとも山のものともつかない見返りの見込めない研究、後ろ向きで魅力の乏しい研究に感じられたものと思います。

 しかし、持続可能な(サステイナブルな)世界ではこのような発明こそが生活に質の向上につながります。ひたすらプラスを求めるだけの研究ではなく、マイナスを抑える研究、マイナスをプラスに変える研究が必要です。プラスを求める研究でも、その成果がサステイナブルな世界に役立つか、という視点が常に必要になります。これは私たち東京工科大学工学部が追求しているサステイナブル工学の考え方に等しいものです。その意味で、このリストはサステイナブル工学の原点とも言えるでしょう。(後ろの三つはサステイナブル農学とサステイナブル医学と言うべきでしょうが。)

 

 さて、1972年、50年前に書かれた本書の考え方はその後、どのように受け継がれ、世界の進路に影響したのでしょうか。それはまた別の機会にお話したいと思います。

 

江頭 靖幸

 

「成長の限界」再読 その3 (江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 第1回第2回に引き続き、「持続可能な(サステイナブルな)発展」の起源の一つである「成長の限界」について述べてゆきます。成長しない社会とはどのような社会なのかについて述べる前に、本書が述べる成長が限界を迎える理由についてもう少し説明を加えましょう。

 本書で述べられている「成長」は厳密には「幾何級数的成長」、つまりねずみ算式の成長だ、という点については前回詳細に紹介しました。では、何がねずみ算式の成長をするのでしょうか。

 まず一つ目は明白で「人口」です。人間がねずみ算式に増える、と言われるといい気持ちはしませんが産業革命以後の人口の増加の様子をみれば正にそんな印象です。こんなスピードで人口が増えてしまえばいつかは限界に達するだろう、とは多くの人が感じることと一致しているのではないでしょうか。

 もう一つ、産業革命以降に急速な成長を示しているものとして、本書は「工業生産」の成長を挙げています。正確には工業生産の速度なので加速というべきかもしれません。工業生産が資源の消費につながるとすれば、工業生産の加速は資源消費の加速に対応しており、資源の枯渇、という限界に達することも容易に想像されます。

 さて、ここで「工業生産が資源の消費につながるとすれば」と書きましたが、この仮定は実は自明なことではない、というのは一つの注目点です。

 例えば「自動車の生産が100台から110台に10%成長した」という状況を考えてみたとき、単純に資源消費も10%成長しただろう、と予想するかもしれません。しかし、新しく作られる自動車がすべてより小型の車だったとしたら資源消費は10%も増えない、それどころか減少しているかもしれません。

 あるいは「自動車をモデルチェンジしてデザインを変えたら、10%高い値段で売れた」というケースはどうでしょうか。自動車の売り上げは10%成長していますが、資源消費が同じように成長しているとは限りません。

 本書で「工業生産」は一年当たりの生産のドル換算額、つまり金額で表示されています。ですから「工業生産」の成長は資源消費の増加に直結する部分以外にも、技術やデザインの改良の寄与もあるのです。ただ、本書で紹介されている未来予測では、それぞれのシミュレーションで一定の技術レベルを固定して計算を行っているため、「工業生産」の成長が「資源消費」の成長に直結した結果が示されています。このため、資源消費に成長の限界がある、というべきところを、工業生産に成長の限界がある、と誤解する向きもあるようです。

 実際、本書を企画したローマクラブが出版から40年を経て発表した「What was the message of "Limits to Growth"」というプレゼンテーションでは本書が主張しているのは「経済成長 (economic growth)に限界がある」ということではなく「今で言うエコロジカル・フットプリント(Ecological footprint, 環境への負荷の指標)の成長に限界がある」ということだと強調しています。

 もう一点、本書のシミュレーションの特徴と関連して指摘しておきたいことがあります。

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「成長の限界」再読 その2 (江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 前回に引き続き、今回は「成長の限界」が何を述べているのか、その内容を再確認したいと思います。

 まず、タイトルが示している「成長に限界がある」ということ、それ自体はある意味自明のことです。たとえば、世界の人口がどんどん増えて、地球上のすべての生物が人間になってしまう、などという状況はあり得ないわけですから、成長が無限に続くこともあり得ない。もちろん、そんな状態になる心配をするのはずっと未来の話。我々が心配する必要はありません。

 本書の主張で重要なのは「成長に限界がある」という指摘ではなく、その限界に今後100年以内に到達する、という点なのです。(21世紀中には、とあるのでこの本の出版年から数えれば正確には128年以内にですが。)100年は確かに長い時間ですが自分自身はともかく、自分の子供や孫、自分に関係ある人間は100年後にもいるはずで、必ずしも自分と無関係とはいえない程度の未来なのです。

 では、成長の限界はどのような原因で訪れる、とされているのでしょうか。本書では資源の枯渇、汚染、食糧不足が指摘されています。しかし、どの要因を見ても、予測の不確実性は大きそうです。コンピュータシミュレーションのデータを少し見直したら100年ではなく、200年だった、いや300年かも、といったことにならないのでしょうか。原因が複数あるなら、そのなかでもっとも緊急性の高い原因に対して対策を打ち、他の原因に対してはその後で対応すれば良いのであって、成長そのものが問題だ、というのは筋違いではないかと感じられるかもしれません。

 実は本書では、これらの疑問に答える概念が丁寧に説明されています。

本書「成長の限界」の目次を見てみましょう。

監訳者はしがき
序論
Ⅰ幾何級数的成長の性質
Ⅱ幾何級数的成長の限界
Ⅲ世界システムにおける成長
Ⅳ技術と成長の限界
Ⅴ均衡状態の世界
ローマ・クラブの見解
参考文献
注解
ローマ・クラブについて

となっています。Ⅰ章とⅡ章をもちいて「幾何級数的」成長について重点的に説明していることがわかるでしょう。「幾何級数的」成長というのも耳慣れないことばですが、「倍々ゲームの」成長、とか「ねずみ算式の」成長、と言えばわかりやすいでしょうか。最初にあったもが成長するだけでなく、成長によって生じたものがまた成長に寄与する、というタイプの成長のことで、このタイプで成長するものは我々の直感をはるかに超える急激な増加を示します。

 本書の中ではペルシャの王様についての昔話が引用されていますが、日本にも秀吉と曽呂利新左衛門の話などに同様の例を見ることができます。「一日目は米一粒」「二日目は米二粒」「三日目は米四粒」と、初めは微々たる量なのですが「十日めは1000粒」「二十日目は100万粒」「三十日目は十億粒」となっていく、という話です。「複利での借金は怖い」という教訓でもあるのでしょう。

 本書で語られているのはこの幾何級数的な成長であって、人口が幾何級数的に成長し、工業生産の量が幾何級数的に成長する。それに対応して資源の消費量も、汚染の発生量も、食料の必要量も幾何級数的に増大することに対して「限界」がある、と言っているのです。
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「成長の限界」再読 その1 (江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 「The Limits to Growth (成長の限界) 」はサステイナブルな社会づくりについて語られるとき、「Our Common Future」とともに必ず名前の出てくる書物です。1972年の出版で、すでに50年前の書物ですが、この本で述べられている考え方が現在の世界を形成する思想的な支柱の一つとなっている一方で、この本で語られた概念が正しく理解されていない様にも見えます。そこで本書の内容を、私の個人的な記憶を交えながら紹介していきたいと思います。

 「成長の限界」、日本語訳はダイヤモンド社から出版されていて正式なタイトルは

ローマ・クラブ「人類の危機」レポート

成長の限界

D.H.メドウズ、D.L.メドウズ、J.ラーンダズ、W.W.アベランズ三世 著

大来佐武郎 監訳

となっています。本書はローマ・クラブという、今で言うシンクタンクの依頼を受けてMITの研究グループが当時最新のコンピュータシミュレーションを駆使して行った研究の報告書です。そのタイトルに「人類の危機」という、当時では(今でも?)きわもの的な言葉が使われていることがとても印象的でした。

 では、「人類の危機」とは具体的には何を指しているのでしょうか。序章で著者たちは本書の内容を三つにまとめていますが、その一つ目が「人類の危機」についてです。以下に引用します。

(1)世界人口、工業化、汚染、食料生産、および資源の使用の現在の成長率が不変のまま続くならば、来るべき100年以内に地球上の成長は限界点に到達するであろう。もっとも起こる見込みの強い結末は人口と工業力のかなり突然の、制御不可能な減少であろう。

学者的なストイックな言い回しですが、人口の「かなり突然の、制御不可能な減少」は具体的には多くの人々が寿命を全うすることなく死に至る、という事を意味しています。工業力が失われる、ということは生き残った人々も苦しい生活を余儀なくされる、ということです。

 1970年代、核戦争による「人類の危機」というイメージはすでに広く行き渡っていたと思いますが、「成長率が不変のまま続く」という悪意ではなく、むしろ善意で人々が行動することによって「人類の危機」が訪れる、というのです。

 この様に書くと「成長の限界」が示したヴィジョンが非常に斬新なものだったように思えるかも知れません。

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NHK日曜討論 「1.5°Cの約束 脱炭素社会 どう実現?」を見て(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 NHKの「日曜討論」と言えば私が子供の頃から放送していた伝統ある番組。政治に関連したテーマで与野党の代表者が丁々発止とやり取りする番組、というイメージでした。でも今回(放送日は 2022年9月25日 の日曜日です)取り上げられているのはタイトル通り「1.5°Cの約束 脱炭素社会 どう実現?」というテーマで政治絡みではないのです。

 さて、討論の参加者が与野党の代表ではない、というのはちょっと新しい感じがしました。「専門家や環境団体の方々と考えていきます」と司会の方が言っていたのですが今回のゲストは以下の様な方々です。

 まずは東京大学公共政策大学院 特任教授の有馬 純教授。この方は元は経産省のひとでCOPでの首席交渉官だったそうです。まあ、専門家代表でしょうか。クライメート・インテグレート代表理事の平田仁子氏、気候変動イニシアティブ代表の末吉竹二郎氏のお二方はNPO代表。信州大学特任教授の夫馬賢治教授は専門家ではありますが経済が専門の方のようです。環境団体 record1.5 共同代表の山本大貴氏はNPO代表というより若者代表でしょうか。

 さて、これは1時間番組なのですが、まず最初のおよそ30分ぐらい、討論らしい討論がありません。そもそもタイトルに「脱炭素社会 どう実現?」と有るぐらいですから、だれも脱炭素社会の実現に反対しないのです。甲論乙駁と言いますが、今回の日曜「討論」では甲が論じても乙は反駁しない。なんというか甲論乙論で前半が過ぎてしまいました。

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スウェーデンより社会保障が充実し、アメリカよりイノベーションが盛んで、中国より市場規模の大きい国!?(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 この記事は慶應義塾大学大学院の小幡 績准教授の「ついに「日本が独り勝ちする時代」がやってきた」という東洋経済オンラインの記事への論評の続きです。

 最初にお断りしたように私は経済学については門外漢なので、上記の小幡氏の記事の内容について判断できるほどの知識はありません。でも賛成できる点も多々あって、中でも「これはその通りだ」と思ったのは以下の部分。

日本の有識者や世間の議論の悪いところは、世界でいちばんのものを持ってきて「それに日本が劣る」と騒ぎたて、「日本はダメだ、悪い国だ」と自虐して、批判したことで満足してしまうことだ。社会保障はスウェーデンと比較し、イノベーションはアメリカと比較し、市場規模は中国と比較する。そりゃあ、さすがに勝ちようがない。

これぞ我が意を得たりでして、常々私も気になっている点なのです。

 これも昔は違っていたと思います。世界で一番優れた製品、世界で一番優れた制度をよく観察し、それを参考に、というかそれをまねして自国に取り入れるというのが日本の国のやり方だった時代がありました。その時代なら世界でいちばんのものを持ってきて「それに日本が劣る」と騒ぎたてることにも意味がありました。そしてその後に続くのは「日本はダメだ、悪い国だ」ではなく「我々もそれに負けないようなものを創ろう」であったのです。

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サステイナブルな社会に「イノベーション」は有るのか(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 この記事は慶應義塾大学大学院の小幡 績准教授の「ついに「日本が独り勝ちする時代」がやってきた」という東洋経済オンラインの記事への論評の続きです。

 小幡氏は世の中の財やサービスを「必需品」と「ぜいたく品」に大別し、現在の先進諸国では本来は不要な「ぜいたく品」を必要だと思い込ませることによって経済的なバブルを維持している、と指摘しています。「ぜいたく品」は新しい刺激で欲望を作り出し続けるための「麻薬」の様なものであると。そして、

われわれは、必需品が作れなくなり、いらないぜいたく品が世の中に溢れ、人々は「麻薬」にお金を使っている。だから、新型コロナウイルスや戦争などなんらかの社会的なショックによって供給不足に陥り、必需品が目に見えて高騰してはじめて、ようやく「今まで必需品をつくることに手を抜いてきた社会」になっていたことに気づくのだ。

と、現下の状況を解釈してみせるのです。

 そして新たな「ぜいたく品」をつくるイノベーションよりも「必需品」を地道に改良する事を良しとする社会と経済の在り方を「膨張しない経済」と呼び

必需品の質が上がっていく。基礎的な消費の質が改善する。これが社会にとってもっとも必要であり、社会を豊かにし、社会を持続的に幸せにすることだ。格差は生まれにくい。質の差はあるが、その差に断絶はない。社会として一体性は維持されやすい。

とし、今回の世界的なインフレなどの経済変動がその「膨張しない経済」への入口となると述べています。

 小幡氏の予言とおりに社会が変化してゆくかのか、その可能性の大小はさておいて、この「膨張しない経済」というビジョンはとても興味深いものです。「サステイナブルな社会」とはこの「膨張しない経済」のことなのでしょうか。

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