解説

熱収縮チューブはなぜ収縮するのか(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 前回の記事で「熱収縮チューブ」を使ってコーティングされた物干し竿を紹介しました。私が子供に家に有ったものなので、私自身はプラスチックのチューブが収縮するところはみていないのですが、両親は不思議に思ったそうです。そこで、今回は「熱収縮チューブ」が収縮するメカニズムについて紹介しましょう。

 まず「熱収縮チューブ」の作り方について。以下の図の出典は山﨑 智、西川 信也、早味 宏、青井 勇人、藤田 竜平、岸本 知佳 著「ナノコンポジット熱収縮チューブ」SEIテクニカルレビュー 2014年1月号 No.184)という文献からの引用です。こちらは前回の三菱ケミカルのヒシチューブではなくて住友電工ファインポリマーのスミチューブの開発記事です。

 さて、熱収縮チューブの作り方でまず理解できるのは、最初に押し出し成形でチューブを作る際に、すでに収縮したかたちのチューブを作っていることです。作ったチューブを膨張させて販売されるときのかたち、つまり収縮前のサイズ、にしているのです。熱収縮チューブが収縮するのは最初のかたちに戻る、という現象なのですね。

 熱収縮チューブの作り方のもう一つの特徴は「電子線照射工程」です。収縮後のかたちに成形したポリマーに電子線を当てると、ポリマーの鎖に付いている官能基の一部の化学結合が電子線によって壊れて、不安定な部分ができます。これがお隣のポリマー鎖と反応して安定化すればポリマーの鎖と鎖の間に新たに結合が生じることになります。このポリマーの鎖と鎖をつなぐ、という話、どこかで聞いたことはありませんか?

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物干し竿と熱収縮チューブ(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 先の記事で「プラスチックが身の周りに入ってきた時期」というものがある、と書きました。昔の、世界的には産業革命以前の、日本では明治維新前の人々は生まれたときから死ぬまで同じ材料に囲まれていたはずで、新材料に出会う、という経験はなかったと思われます。プラスチックの登場は新材料の進出の最初のものだったので、その驚きは最大級のものだったでしょう。

 私自身は「プラスチックが身の周りに入ってきた時期」より少し後で物心がついているので、プラスチックを初めて見た時の感動を記憶しているわけではありません。ですが、両親はその経験をした世代です。今回のお題は私の両親がはじめてであったプラスチック製品の話です。

 子供のころ、家の物干し竿の中に、竹竿に水色のプラスチックがコーティングされたものがありました。子供なので別段不思議にも思わずに「そういうものだ」と思っていたのですが、何かのきっかけで両親から「普通の竹竿に自分たちでプラスチックがコーティングした」と聞かされてビックリ。なんでも父が取引先の会社から貰ってきたものだったそうです。竹竿にプラスチックのチューブをかぶせ、やかんのお湯をかけるとチューブが縮んでピッタリ竿竹に張り付いた、と言うのです。

 なるほど物干し竿をコーティングすれば水をはじくので良いですね。チューブを熱で収縮させるなら塗料を塗るよりも簡単です。他のものが汚れる心配もないし、刷毛などの道具もいりません。でも「お湯をかけると縮む、なんて不思議なことがあるものだ」と思ったそうです。

 この商品、現在では販売終了となっているそうです。上記は私が子供の頃、というか下手をすると生まれる前の話ですから、すでに50年は前のもの。販売終了も当然ですね、と思ったら!なんとこの商品、2024年9月まで販売されていたというのです。こっちの方がびっくりです。

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生成AIの現状(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 以前の記事(「新しい技術が世間に受け入れられるまで」)で紹介したガートナー社のハイプサイクルモデルですが、今回はその応用例を見てみたいと思います。ガートナー社のWEBサイトにある記事

「生成AIのハイプ・サイクル」とは何か?どのように活用するか?

では、生成AIの状況をハイプ・サイクルモデルで表現した図表(下に引用)が載っています。

 図ではいろいろな生成AIの技術について、それぞれがハイプ・サイクルのどの段階にあるのか、が示されています。(ただし、この図は2024年に発表されたもので、すでにほぼ1年前の状況を反映したものです。)

 一見して分かるのはハイプ・サイクルのカーブの中に一点だけ「生成AI」という点が打ってある、というスタイルではないということ。複数の技術がそれぞれにカーブの中に表示されていています。単純に「生成AI」という技術があるわけではない。生成AIというのは複数の技術の集合体について名付けられた名称なのだ、というガートナー社の考えが反映されているのですね。

 そして生成AIの現状は……「過度な期待」に向けて登り調子の技術もあれば、幻滅の谷に向けて転がり落ちている途中の技術もある、といった状況。生成AI全体としてみれば「過度な期待」のピーク周辺にある状態であり、まだ世間に広く受け入れられているとは言えない状況のようです。

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新しい技術が世間に受け入れられるまで(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 新しい技術が登場して世の中に受け入れられてゆく過程を考えると「これは凄い!」「こんなこともできる、あんなこともできる」と興奮する時期があり、その後興味が冷めてゆくもののいつの間にか世間に受け入れられている、という経過をたどるものです。何となくそんな事を考えていたのですが、それを良くモデル化したものを見つけました。技術に関する調査会社のガートナーが提案している「ハイプサイクル」というモデルです。

 このモデルはガートナー社のWEBサイトから引用した以下の図で表現されています。横軸は時間、そして縦軸はその技術に対する世間の「期待度」だと言います。

 新しく登場した技術が進歩するにしたがって世の中の期待度も高くなる。最初は常識通りの経過をたどるのですが(この期間を黎明期と名付けています)、やがて期待は技術の実力を上回ってバブル化し、そしてバブルがはじけるという経過をたどります。つまり「過度な期待」のピーク期を経て「幻滅期」に入るのですね。

 この「過度な期待」という感じ、インターネットが登場してきた初期の頃を覚えている身としてはかなりリアルに感じられます。新しい技術の概念を理解するといろいろなアイデアが頭に浮かびます。「こんなこともできる、あんなこともできる」という思いが溢れて興奮状態に。そんな個人が世の中で増えてゆくと、世の中全体が少しおかしな雰囲気になってしまいます。

 とはいえ、想像のエネルギーで膨らみきった期待に実際の技術がついて行くことができるはずもありません。過度な期待はやがて幻滅へと変わるのですね。

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人間に必要なエネルギー(カロリー)はどれくらいか(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 最近、人間とエネルギーについていろいろと書いているこのブログ(前回前々回など)。今回は趣向を変えて、エネルギーはエネルギーでも生き物としての人間が必要なエネルギー、つまり食事から採るカロリーについて考えてみましょう。

 人間がどのくらいのカロリーを必要としてるか。これについては厚生労働省から日本人の食事摂取基準についての資料が発表されています(「日本人の食事摂取基準(2025年版)の報告書」など)。

 この食事摂取基準はなかなか詳細な資料で必要カロリーも「1人あたり○○カロリー」などという大雑把なまとめ方はされていません。必要なカロリーは、まず男女で違う。年齢によっても違います。さらに生活中で体を動かす度合い(身体活動レベル)によって3グループに分けて、それぞれに必要カロリーを計算しているのです。

 ちなみに、私(江頭)の必要カロリー量は 2100kcal となります。運動量が少ないので小さめ、とも言えますが男なので大きめな値と言っても良いでしょう。

 さて、必要カロリー量の平均値をどのように求めるべきでしょうか。いろいろ考えられますが、ここでは思い切ってキリの良い値と言うことで、1人1日当たりの必要なエネルギーを 2000kcal としてみましょう。

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人間にはどのぐらいのエネルギーが必要か(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 先進国の豊かな生活を続けるためには充分なエネルギーの供給が必要だが、エネルギー資源が枯渇すれば生活水準を落とす必要がある。サステイナブル工学の役割は、技術の力で生活水準を持続できるようにすることである。これは昨日の記事でも述べたことです。

 では豊かな生活を維持するにはどのぐらいのエネルギーが必要なのでしょうか。一人の人間が必要とするエネルギーはどのくらいなのか、これにはいろいろな見方があると思いますが、今の日本人の生活が豊かな生活を代表していると考えて、日本人が一人当たりに使っているエネルギーを「人間が必要とするエネルギー」の指標だ、と考える事もできると思います。前回同様「総合エネルギー統計」をみると、下図のようなグラフが載っていました。

 2005年以降、一人当たりのエネルギーは減少傾向にあり、直近2023年度のデータは 140.7GJ/人 となっています。

 日本の人口は約1億2千万人だから 140 倍すると 約170億。日本全体では 170億GJか。PJ(ペタジュール)はGJ(ギガジュール)の千倍の千倍、つまり6桁上だから170億GJは17,000PJ くらいになるはずだが...。あれ、前回のグラフだと 11,515PJ となっているんだが?

 気がついた人もいたと思うのですが、今回の記事ではエネルギーということばをかなり曖昧に使っています。下図のエネルギーは「一次エネルギー国内供給」とありますが、昨日の記事のグラフで示されているのは「最終エネルギー消費」。両者は異なるものなのです。

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エネルギーの限界と成長の限界(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 産業革命以来の科学技術の発達によって、先進国に暮らす人々、例えば私たち現在の日本に生きる人間は豊かな生活を享受してます。具体的には、充分な量の食料が供給され、多種多様な衣服が提供され、快適な居住環境が整備されています。それに加えて娯楽から学修まで多種多様な情報源に接することも容易ですし、伝染病や災害の制御によって長い寿命を生きることが期待できるのです。


 この科学技術の成果を全肯定するのがサステイナブル工学の前提であり、その一方で、このような豊かな生活は現状のままでは維持できず、持続可能なものに根底的に変革されるべきだ、というのがサステイナブル工学の理念です。


 では、なぜ現在の科学技術文明は持続不可能だ、と考えるのでしょうか。その理由は一つではありませんが、大きな、おそらく最大の理由の一つはエネルギー資源の有限性だと私は考えています。


 現在の文明は石油に浮かぶ楼閣であるが、石油資源には限りがある。いつか石油を掘り尽くして持続不可能な状態に陥る、これが一番素朴なエネルギー資源の有限性への認識でした。やがて、石油の枯渇が温室効果ガスによる気候変動に置き換えられ、化石資源はあっても使えないもの、大気中のCO2の限界によって制限されるもと、という認識が一般化しました。いずれにして、エネルギーの限界こそが成長の限界である、すくなくとも最初に訪れる限界である、という認識に変化はないでしょう。


 では、有限のエネルギー資源、という意識はいつ頃できあがったものなのでしょうか。


 まずは下の図を見てください。これは資源エネルギー庁の「総合エネルギー統計」から引用した日本の最終消費エネルギーの経年変化です。


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「アセスメント」って何だ?(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 皆さん、アセスメント、という言葉を聞いたことがあるでしょうか。これを読んでいるあなたが高校生や大学生なら聞いたことがある、という人が多いのではないかと思います。でも私が高校生のころには全く聞いたことがありませんでした。いや、別に「俺も昔はワルでねぇ...」なんて話をしたいわけではありません。私が高校生の頃にはなかった言葉だと言いたいのです。

 アセスメントの由来は英語の Assessment ですが、辞書を調べると「評価」と出ています。こちらはもちろんずっと昔から存在した言葉なのですが、これがカタカナの「アセスメント」になったのはおそらく「環境アセスメント」という言葉の一部として広く用いられる様になったからだと考えられます。「環境アセスメント」とは東京都環境局の説明を引用すれば

環境アセスメント(環境影響評価)とは、大規模な開発事業などを実施する際に、事業者が、あらかじめその事業が環境に与える影響を予測・評価し、その内容について、住民や関係自治体などの意見を聴くとともに専門的立場からその内容を審査することにより、事業の実施において適正な環境配慮がなされるようにするための一連の手続きをいいます。

となります。

 ここでのアセスメントは確かに「評価」なのですが、単に目的に対する評価にとどまらず住民など他の利害関係者に対する影響まで含めた評価だ、という意味まで含んでいるのでしょう。そう考えると「環境評価」では不十分。「環境影響評価」としてもまだニュアンスを伝えきれないので「環境アセスメント」という言葉が使われたのでしょう。

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私が考える「サステイナブル工学」(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

「サステイナブル工学」。本学工学部の一つの特徴として打ち出しているコンセプトではありますが、「サステイナブル工学」は概念としては多くの人が考えているものの、「これがサステイナブル工学だ」という具体的な内容は定まっていないと思います。そこで今回のお題は私の考える「サステイナブル工学」ということにしましょう。

 さて、「サステイナブル工学」を考える前に今までの工学、というか現時点での工学とはどんなものかを考えて見ましょう。工学の誕生は産業革命と相前後していて、産業社会の進歩と同期して工学も進歩してゆきました。この産業と工学の進歩の成果は人々を豊かにするという点で疑いようもないほどに明白な成果を挙げています。多少の問題はあるとしても、この進歩の成果を全肯定することがサステイナブル工学の大前提だと私は考えています。

 この素晴らしい産業と工学ですが、このままでは環境破壊や資源・エネルギーの枯渇を招くことが分ってきました。このまま継続することはできない。つまり、現状の産業と工学はサステイナブルではないことが分かった。これは1970年代にはすでに広く知られる様になっていた考えです。

 ではどうすれば良いか。一つの考え方は環境破壊や資源・エネルギーの枯渇を防ぐために産業と工学の発展を抑制し、さらには後退させようという考えです。このような考えは私は絶対に認められません。そこが私の考える「サステイナブル工学」のポイントです。

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 環境破壊や資源・エネルギーの枯渇のためいままでの工学はサステイナブルでは無い、ならば進歩を抑制し時代を遡らせるのか?

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「100点以外は0点とおなじ」という厳しい基準(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 研究室での学生さんとの会話です

どう、巧くいってる?

いや、ダメですね。この電圧変換モジュールの5V側は正常に動いているのですが3.3V側の電圧がおかしくて……

えっと、これってどうつながっているの?ここがGNDで……

あっ、この部分の配線、抜けていました!

ということで配線を刺し直したらすぐに正常に動作。これはこれで良いのですが、この会話から「複数の要素が組み合わされた装置を動かす」というのは学生さんにとっては意外に大変に感じられるのかも知れない、と思い至りました。

「複数の要素が組み合わされた装置」というものはどこかに一つでも不具合があるとすぐに動かなくなります。(いえ、動かなくなること自体はありがたい。これがもし中途半端に動いておかしなデータを出したら、そしてそのデータを信じ込んでしまったら目も当てられないことになりますからね。)

 当たり前といえば当たり前なのですが、大学以前の、というか大学でも3年生までの教育ではこのタイプの「もの」に出会う機会は意外と少ないのではないでしょうか。だって「一つでも不具合があるとすぐに動かなくなる」ということは、テストで例えれば「100点以外は0点とおなじ」という評価に等しいのです。

 この世に100点以外とったことの無い人など居るでしょうか。いや、居ない(反語)

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