日記 コラム つぶやき

「先生は何にも分かってくれない!」「はい、その通り。」(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 大学生も4年ともなると自分の研究、卒業論文研究(卒研)を始めます。そのとき学生さんは「先生は何にも分かってくれない!」と感じているのではないかなあ、というのが今回のお話です。

 小学校から大学の卒研が始まるまで、先生と学生とのコミュニケーションは圧倒的に先生から学生へという方向に偏っています。たまに学生から先生に話をする場合も多くの情報は共有されているのが普通。要するに学生と先生とのコミュニケーションは必要とされる労力が極端に少ないのです。(精神的に話しにくい、というのはあるかも知れませんが、それとは別の話です。)

 講義や学生実験のなかで先生が学生さんに質問をする場合などはその典型例でしょう。先生の求める答えは実際には最初から決まっていて、学生さんはその答えを言い当てるだけで良い。極端に言えば自分はその答えが分かっているというサインをだせばOKだったりします。

 でも、これは卒研がはじまる前の話です。研究となれば主体は学生さん本人に。とくに学生さん本人が実施した実験の結果の内容を報告する段になると先生よりも学生さんの方が多くの情報を持っている状態になります。学生さんが先生に教えなくてはならない状況になるわけですね。

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「実学」じゃなければ「虚学」なのか?(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 ラジオのニュース解説番組を聴いていると耳慣れない言葉が。「虚学」が、どうやら「実学」以外の学問、という意味で使われているのです。最初は弁護士の方がしゃべったので「けったいな表現をする人だなー」と思ったのですが、ラジオのパーソナリティーの方まで「虚学は実学の反対」という解説を付けたので二度ビックリ。そんな言葉があるんだ!

 うーん、余りにも変だ。そう思って内閣府のホームページで「虚学」という言葉を検索してみました。該当は11件のみ。ちなみに同じ条件で「実学」を検索すると468件がヒットします。

 さて、この11件のほとんどは「実学」に対して「虚学」という言葉をその場の思い付きのように使っているものです。例外は日本学術会議の「新しい学術の在り方 ― 真の science for society を求めて ―」という平成17年の第19期日本学術会議「学術の在り方常置委員会」の審議結果報告書ですが、この中では「現在では実学と虚学は対立する概念とは言えない。」と明確に断り書きがついています。

 やっぱり「虚学」という概念があるとしても一般的ではなく、「実学とは言えない学問」を「虚学」と言い換えているだけではないでしょうか。実学だってそんなに定義がハッキリしていないのに、実学以外というのはもっとぼんやりした表現です。そして、端的に言って「虚学」という言い方は注意を要する表現であり、これが教育行政に関わる議論において専門用語として定着することは避けるべきことだと私は思います。 

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貴金属に関する素朴な疑問 (雑感のような書評のような)(片桐教授)

| 投稿者: tut_staff

 今回は江頭先生(2019年5月2日)の「白金カイロの思い出」に触発されたブログです。

 小学生の頃は切手を集めていた。中学生になってからはマンガの単行本を集めていた。高校生は受験参考書や問題集を「集めて」いた。こうやってみると私の趣味は全て「収集」系のようだ。
 大学生になってからは知識を集めることが趣味のひとつになった。進路先として人類の能力の限界を広げる工学部ではなく知の限界を広げる理学部という学部を選んだ。どのようなことでも新しく知ることは喜びであった。できることなら「全知」になりたいと思う。しかし、それは人間の短い寿命では望むべくもない。「知」は限りないもので、それを集めきりコンプリートすることはできない。


 素朴な疑問を覚え、それを調べる勉強は楽しい。しかし、多くの素朴な疑問は、調べても、調べても、答えを見つけ出せない。

 私の中学生の頃の疑問のひとつは「なぜ白金カイロは『白金』なのだろうか」というものであった。「金よりも高価な白金を使わなくても、同族のパラジウムやニッケルで同じ機能はだせないのだろうか」というものである。
 この素朴な疑問を父(当時、化学の助教授)にぶつけた。「自分で調べてご覧」とはぐらかされた。理科の先生にも尋ねた。「それを理解するには、君の知識(知的な準備)はまだまだ不十分だから、もっと理科を勉強しないさい」とごまかされた。大学生になってからもいろいろな先生に尋ね、いろいろな書籍を読んだけども、満足のいく回答はどうしても得られなかった。

 わたしはしつこいタチのようである。45歳を過ぎて、本屋でその答え(の一部)を記述している書籍を見いだした。

 

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左から白金、金、銀、銅のインゴッド(延べ棒)

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「アゴラ」って何?(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 本学の応用化学科、というか工学部は2015年の設立です。私はこの学部設立の1年前、2014年の4月1日づけで大阪大学から本学に移ってきたのですが、その間際の3月14日に

東京工科大学工学部アゴラの開催について(開催通知)

というメールが届きました。ということで今回のお題。「アゴラ」って何?

 まず、このメールにあるアゴラですがメールの本文中に「本学工学部に参加いただきます先生方による打合せ会」と説明がありましたので、まあ意味は分かります。でもなんで打合せ会がアゴラなんだろう。

 本学に来て分かったのですが、「アゴラ」というのは学部で行われる会議のこと。これは他の大学でも「学科会議」とか「領域会議」の名称で行われているものです。これらの会議には二つの役割があり、一つは学科や学部としての決定を行うこと。例えば卒業判定の結果を承認したり、教員の学外(学会など)での活動に許可をだすことなどがこれに当たります。もう一つは学科にある問題点を検討したり大学全体の制度変更に対して意見を出すなど、問題点を話し合うことです。

 本学の場合、決定を下すための会議を「教授総会」と呼び、話し合いのための会議を「アゴラ」と呼んで両者を区別しているのです。本学に赴任前の私達を含めて「本学工学部に参加いただきます先生方による打合せ会」であれば「アゴラ」に分類される訳ですね。「教授総会」と「アゴラ」、参加者は同じですが位置づけは異なりますから議題も議事運営の雰囲気も違っています。「教授総会」の中でも、決定できるほど内容が詰め切れていない場合には「この議題は次のアゴラで議論を」などということもあります。会議の運営方法としてはなかなかよくできていると思います。

 ということで、もう一度。本来「アゴラ」って何でしょう?

 

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今日から令和。日本の課題とは。(江頭教授)

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 平成が終わり今日から令和となりました。だからといって何が変わるわけでもないのですが時代の一区切り、新しい時代の始まりということで今回は日本の課題について考えてみたいと思います。

 「日本の課題」といった漠然としたお題ですから、論じる人によっていろいろな意見があると思います。私の立場はあくまでも工学の研究者でありその視点からのものですが、私にとっての日本の課題はズバリ

資源(特にエネルギー資源)が自給できないこと

に尽きます。

 工学研究者というよりは私自身の志向、というか嗜好、という側面もあるのですが社会が抱えている問題は基本的には社会制度によって解決可能であるのに対し、自然と人間との間に存在する問題、つまり自然による人間活動に対する制限に対しては工学的アプローチが必要だと感じるのです。たとえば格差の問題は富の分配の問題であり、基本的には人間の間で解決できる話です。一方、絶対的な富の不足、人が生きていくために必要な物材が不足している、という問題は人間が自然に有効に働きかけることによってのみ解決できると思うのです。別の言い方をすれば工学は絶対的貧困をなくすために必要なもの。相対的貧困、つまり格差の問題は絶対的貧困を解決したあとの話ですよね、ということです。

 日本の現状はそういう意味ではまだ物材の不足が解決されていない状態であり、その不足を貿易によって補っているという状態だと考えています。

 

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出版社の活字ばなれ(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 平成の終わりも秒読み段階、ということでこの30年で大きく変化したものを考えてみましょう。ということで今回のお題は「活字ばなれ」です。

 皆さんは活字というものをご存知でしょうか。金属でできた1文字分の小さいハンコです。このハンコを組み合わせて文章を作り、それをページごとにきれいに並べる。並べたものを「版」、並べる作業を「版組」と言います。そして、この版を使った印刷が活版印刷。「グーテンベルクの活版印刷」と言えば世界史の授業を受けた人は聞いたことがあるのではないでしょうか。活字をつかった印刷技術によって本の印刷が容易になり文化の発展に大いに貢献したのでした。

 ただし、一つの文章、一つの本を印刷するとき、その文章や本に含まれるすべての文字の活字を用意してそれを正しい順序で並べなければなりません。これを手作業で行うとなるとその手間は想像を絶するものとなります。私が個人的に思い出すのは「銀河鉄道の夜」の登場人物、ジョバンニが活字拾いのアルバイトをしている、という設定です。活字を並べる作業は専門性が要求されるものですが、大きな棚に大量にストックされている活字の中から必要な一つ一つの活字を集める作業(これが活字拾いです)はアルバイトでも可能な作業です。ただし、字が読める程度の教育は必要であり、肉体労働でありながら知的な雰囲気をもった仕事なのでしょう。その一方で活字には鉛が使用されていることから健康を犠牲にしながら働くという面もあります。

 さて、平成も終わりとなる現在、活字はほぼ使用されなくなりました。版組と印刷は電子化されて活字という道具を使う必要がなくなったのです。大量の手間を省くことができ、図書の印刷は極めて迅速に低コストで行うことができるようになったのですが、一部の人たちはこれを「出版社の活字ばなれ」とよんでその文化的な悪影響を危惧しています。

 

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平成の海外観光旅行(江頭教授)

| 投稿者: tut_staff

 平成から礼和へ。元号がかわるゴールデンウィークは

世は正に大連休時代!

な訳です。この機会に海外に観光に行く人たちも多いと思いますが、今回はその海外旅行についての雑感を。

 海外旅行に行く、という視点からすると平成の30年間は最も海外での観光旅行が楽しめた期間なのではないかと思います。平成前半は昭和の高度経済成長で儲けたお金をどのように使うか、人々が試行錯誤していた時期で、海外旅行は誰もがその対象として一度は考えたものでしょう。つまり、海外旅行に行くお金と時間の余裕ができたということが一つ。

 もう一つのポイントは世界の国々に実際に旅行することができるようになったということ。平成の始まりと同時期に冷戦が終結し、ほぼ世界中の国に旅行に行くことが可能になりました。冷戦終結後の中国をはじめとするアジア諸国の経済発展の影響も大きい。これらの国々は単に旅行に行けるというだけではなく、観光旅行の対象地として魅力的な場所へと成長していったのでした。

 ところが平成が終わりに近づくにつれてこの二つの条件が崩れてきた様に思えます。

 

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越前そば(片桐教授)

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 片桐はおそばが好きだ。岡山在住時には、東京出張のたびに蕎麦屋、あるいはカレー屋に入るのを楽しみにしていた。関西人は「関東の蕎麦の汁が黒い」と文句を言うそうな、本当かなあ。確かにおうどんの汁の黒いのは好きじゃない。しかし、お蕎麦の汁は黒くてもかまわない。だいたい、おうどんとお蕎麦を同じカテゴリーで議論することこそ間違っていると思う。
 お蕎麦は健康食だ。お蕎麦のタンパク質は白米よりも多いそうである。一方で、この豊富なタンパクが蕎麦アレルギーの原因にもなっているのは残念だ。ビタミンB群を含み、ルチンは毛細血管に良く、血液をさらさらにしてくれるそうだ。また食物繊維も豊富で胃腸にやさしい。塩分の高いおうどんに比べて健康食である。頻繁に食べられる。

 この4月から、フーズフーの2階東側のうどん屋が「越前蕎麦」に変わった。遅ればせながら、今日は時間的に余裕があったので食べにいった。11時開店だそうだ。11:15ごろに行ったところ、すでに店の前の席にて多くの人がお蕎麦をたぐっていた。

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自動車のスピードメータとGPS(江頭教授)

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 フィールドワークに便利なタブレット。圏外でも使えるGPSの機能を用いればカーナビとしても優秀、という話をしてきましたが、今回はそのタブレットのGPS機能を使って車の速度が測れる、というお話です。GPSの衛星からの情報は位置情報だけですが位置の時間変化を追跡すれば速度も分かる、というのは簡単な話。実際われわれが使っているMPAS.MEのナビでも車の速度が表示されます。

 さて、問題はここから。今年の2月末、西オーストラリアにフィールドワークのために出張したのですが、その際に気がついたこと。

 GPSから算出された速度と自動車のスピードメータに表示される速度が微妙にずれている

のです。正確にはGPSで算出された速度よりスピードメータの速度が数%ほど大きく表示されているのです。

 別に1割2割違う、という話でもないので気にするような事でもないのですが移動時間の間の暇つぶしに少し理由を考えてみました。

 まず、GPSから算出される速度について。GPSが正しく位置を測定していることはちゃんとナビゲータとして利用できることからはっきりしています。時間についても間違いようがないでしょう。そうなると考えられるのはポイントとしては正しく測定されているのに経路としては合っていない、ということ。つまり本当の経路は曲線なのにそれを折れ線で近似しているような状態でしょうか。でも曲線と折れ線を比べれば折れ線の方が短いはず。同じ時間で移動距離が短くなるなら折れ線になってしまうGPSのほうが遅い速度を示すはずです。

 では問題はスピードメータにあるのでしょうか。

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当事者と第三者 情報公開は「正しい」ことだろうか?(片桐教授)

| 投稿者: tut_staff

 昨年、NHKで「自宅で死を迎えること」についての報道がありました。

 自宅での自然な穏やかな死を迎えることを希望していたおばあさんが家で倒れたときに、それを見た家族が動転して慌てて救急車を呼んだところ、本人の希望していない蘇生を施され病院へ搬送されそうになった事例です。このケースではかかりつけのお医者様が間に合い、自宅でお見送りをできたそうです。

https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_1002.html

 本人は希望していないとしても、救急隊員の立場では蘇生処置をして病院に運ぶ社会的道義的「義務」があります。しかし、それは本人と家族の立場には、望まないものです。

 さて、このとき、そのおばあさんの命の選択権は誰にあると考えるべきなのでしょうか。社会でしょうか本人を含めた家族でしょうか。これは倫理の問題です。個人の権利とコンプライアンスの衝突です。

 この衝突の原因は何だったのでしょうか?。なぜ、このような衝突が起きてしまったんでしょうか。

 いろいろな学会の倫理規定は「情報の公開」を明示しています。しかし、情報公開は常に最善の選択ではありません。これは講義「安全工学」で取り上げたシティコープビルの事例から示されます(ブログ2016.7.15)。

 救急搬送のケースにおいて、このようなコンプライアンスと本人の希望の葛藤を生じさせたものは、家族による救急通報という「情報の公開」ではないでしょうか。本人と家族とかかりつけのお医者様の間でことをおさめれば、何の問題もなく、本人の希望する静かな最後を迎えられたでしょう。

 私はむかし、危機管理のまねごとを行なっていました。

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